涙で 歌えなかった 言葉にできない | みどりおばさん、空を飛ぶ‼️

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還暦おばさんの、空を飛ぶほど楽しい毎日の日記です。


🔴 1982年 6.30 in 武道館

伝説の10 日間コンサートの最終日に歌った

〈言葉にできない〉で

小田さんは感極まって泣いちゃったんですよね。


あれから40年たつんですね。





🔴鈴木康博さんとはデビューから

一緒にやってきた二人。

その鈴木康博さんは このコンサートを最後に

脱退が決まっていた。

〈心 はなれて〉と 〈言葉にできない〉は

そんな 鈴木康博さんに 捧げた曲だったんですね。



🔴アルバム【over】の最初の曲は

〈心 はなれて〉のインストゥルメンタルで始まり

最後の曲も〈心 はなれて〉で終わるほど

この曲には小田さんの心意気が感じられる曲だった。



🔴高校で同級生だった二人。

1981年に鈴木康博さんは 脱退を表明した。

それを受けた小田さんは

「ヤスのいない オフコースは考えられない」 

と発言していたらしい。

そんな小田さんの意思で決まった オフコース解散。 

その頃の小田さんは、 オフコース解散と共に自分の音楽活動を 終えるつもりだったそうです。



それが→→→〈もう ここから 先へは ゆけないね〉

という歌詞となったのかも?




🔴 次の曲〈言葉にできない〉で 

小田さんは涙で声を詰まらせた。

涙の訳は、後日 「これが最後のライブだと思っていたから〈心 はなれて〉でグッときて

こらえてきたものが 次の曲の『言葉にできない』 であふれた」 と語っています。


この時は 自分も最後のステージだと思っていたんですね。




🔴この逸話は1997年のNHK「トップランナー」に

出演した時に真相を語ってくれたんだそうです。



🔴また2009年に佐野元春さんの「ザ.ソングライターズ」という番組に出演された時に

〈言葉にできない〉という曲が作られた経緯を

聞かれた時に小田さんが語ったのは

「幼馴染が抜けることが決まっていたので

そういう意味でも、アルバムの核になるような曲を作りたい」というような事を語っていたようです。


↓↓〈参考資料〉


🔴↑↑鈴木康博さんは1980年6月頃から脱退を考えていたそうです。その時のことも書いてありました。




🔴 〈心 はなれて〉を無事歌い終わって

〈言葉にできない〉で感極まった小田さん

曲の最初から 感極まってますもんね。



🔴1989年2月26日 

「OFF COURSE The Night with Us」 

東京ド ーム公演 4人でのオフコース最後のコンサートで、小田さんはこの曲の演奏中、 

再び声を詰まらせた。


歌い終えた後、 小田さんは

「だからこの曲はやりたくなかったんだ」と

コメントしたそうだ。


この2つのエピソードから、 

「言葉にできない」はオフコ ースファンの記憶に強く刻まれることになったんだって。


🔴そして1999年9月に

明治生命のCMソングに起用されて

〈言葉にできない〉は

誰もが知る曲となっていったんですね。



🔴ちなみに 2016年 6月30日in東京体育館

「君住む街へ」でまた 涙。

この日も〈心 はなれて〉〈言葉にできない〉の順番だったそうで、小田さんは感極まったみたいです。


小田さんにとって〈言葉にできない〉は 

思い入れのある曲なんですね。




   

   あれから40年

   6月30日は

   もうすぐです。