今現在の政治や経済、そして社会問題において、
もっとも危惧することがある。

それは、
すべてのものになんらの思想もなく、
特に定まった理念すらも見られないことで、
そこにあるのは観念のようなもので、
漠然とした記憶とエゴイズムがつくりだす
凝り固まった固定観念のようなものしか存在しない
ことである。

これは、たとえるならば、
左右対立のような
簡潔にして明快なものにおいても言えるのである。

左右両派ともに
互いの存在を否定するということで
自らが存立するという、
きわめて単純な固定観念が
諸問題における現象論というものを際立たせ、
これを固定観念で判断し、
それをもっとも正しいとする。

これこそが
本質のない自己欺瞞であり、
対立をつくりだすことによって
自己を成り立たせるという
極めて陳腐で脆弱なものだといわざるをえない。

このような状況が
日本のみならず世界で起こりつつある。

これでは問題解決どころか、
良策を生み出すことなどあろうはずもなく、
対処療法的な稚拙な考えが跋扈するのみで、
決して良い結果を生み出すことはない。

何事も、
本質に立ち戻り原理原則を十分に考え、
それに宇基づく理論の構築が必要不可欠である。

その理論は、
あくまでも本質に従い、
自己の利益を含まず
公に資する
ということを旨としなければ、
政治もさることながら
経済やさまざま発生する社会問題に対処することは
困難を極める。

それと、
現在実存する社会とは、
際限なく広がり膨張し続けるなどということは
ありえない。
あるとすれば
人の意思にかかわらず、
膨張しすぎた世界は、
いずれ縮小に転じなければ維持できない
ということになるはずである。

いずれにせよ、
膨張しすぎた社会が粉々に砕け散らないかぎり
パイはひとつだ
ということを念頭に置く必要がある。
それは巨大であったとしても、
また、
最小であったとしても、
その社会は、
常にパイはひとつであるということになる。

即ち、
そのパイをどのように切り分けるか、
いうなれば
どうすみ分けるかということを
常に考えなくてはならない。

損得でいうなれば、得をするものがすべてとなることはない。
当然、得をする者がいれば、損をする者がいる。
その差異というものを、
きわめて小さなものにすることが
安定的な存在だと認識する必要がある。
つまり、
現在行われている問題認識、
そして解決方法としての権利主張などは、
一方的にならないことを
常に視野に収めておくことが重要だといえる。

故に、
観念論、とりわけ固定観念というものは、
なんの役にも立たず、
かえって問題を複雑化させ
悪化させる要因にしかならない。

まずはなによりも、
本質や基礎というものに立ち返り、
それをいかに客観的な理性に基づく知性で考えるかが
重要なことになる。

今は、あまりにも近視眼的で、
自己の利益追求を人間の本質のごとく誤ってとらえ、
できもしないきれいごとばかりで
ものごとを語るような人物や集団が増えすぎたことに、
現代社会は問題が解決に結びつかないという
顕著な理由だと私は考える。