今日のこの社会は
なにをやってもうまくいっているとは言いがたい。

常にちぐはぐでうまく回らないというのが、
まるであたりまえのごとく思われているのではないか
と感じるほどである。

言い換えれば、
なにごとにおいても結果がともなわない
というような未完成な状況にあると言ってもよい。

そこから抜け出そうとしても、
どうしても抜け出せない。
それどころか、
まるで身動きが取れないというような
圧迫感と息のつまるような閉塞感が、
今日の日本のみではなく
世界中、とりわけ先進国と呼ばれる国々に蔓延している。

ただし、先進国と呼ばれる国の中に、
東洋の小国日本は、
本来、西洋のかの文明に呑み込まれている国々とは
異なる存在であってもよいはずだが、
なぜか日本も
西洋近代文明の諸国同様に喘ぎ苦しんでいる
といってよい。

この状況は
21世紀に入り未曽有の感染症という、
まるで第一次世界大戦当時の
スペイン風邪に侵された時と同じ、
いやそれ以上の未体験な恐怖と危機が世界中を覆った。

そして持ち直しが見える情況の中で
資本主義を経済の主体とし、
おそらく
民主主義であるとはばからずいう国々の中に、
これまでと違う空気が蔓延し、
かつ奇妙なエネルギーを生みだした。
それが第二次世界大戦後、
国際社会が目指したはずの国際協調、
なによりも平和の実現という風潮が
もろくも崩れだしたかのように見えた。
それは、
先の大戦後、国際社会は、
社会主義や共産主義という
きわめて新しく洗練されたかに見える思想と政治哲学が
嵐のごとく吹き荒れた。

しかし、
20世紀が終わりを告げるころ、
それは幻想にすぎず、
まやかしの国家のごとくみられ、
今日はほぼその姿を見ることはできない。

人とは摩訶不思議なもので、
大きく左にぶれれば、
バランスをとろうとするわけではないが、
揺り戻し的に真逆の力がはたらき、
大きく右にぶれる。

そんな現象が、
今日の先進国と呼ばれる民主主義体制で起こった。
いわゆるポピュリズムの台頭で、
それには強いナショナリズムが影響し、
さもすれば
民主主義自体を否定しかねないほど右に傾く、
いわゆる極右の台頭である。

この状況を
単なる偶然だというのは愚かな話である。
いうなれば
必然とも呼ぶべき歴史の繰り返しである。

ようするに、
極端に右へ傾く社会は、
失敗ともいうべき社会主義や共産主義が
あったからというよりも、
国際協調路線、
そして平和神話を強く語り、
人権や環境という、
いわゆる西洋的ヒューマニズムが
政治の表舞台で力をつけたことに対する反動で、
決して
極左や色濃く表れる左派というようなものからの
反動ではなく、
本質無き西洋的ヒューマニズムの堕落と打算を
よしとしない結果だといえる。

先の大戦後、
連合国の中でも
ソ連(ロシア)と北京政府を除く先進国は、
勝者の理論として
民主主義という名の不確定要素をよしとし、
自由経済と市場原理という資本主義に
きわめて極端な富を描き、
それが社会主義や共産主義と同様の
共同幻想であることに気づかず、
なにかあれば人の偉大さを説き、
その人こそがこの世界を導くという、
きわめて傲慢な意識を
ヒューマニズム(人道主義)というもので誤魔化し、
その現象を
人権や環境という名目的理想に近づけようとした。

しかしそれは、
本来の人道主義や自然との共存には近づくことができず、
かえって科学と技術への依存というものに富を結びつけ、
より人の心を希薄なものとしていった。

それをよしとしない勢力が
エドマンド・バーグが説いた保守主義の
都合のよい所だけをつまみ食いし、
希薄な懐古や守旧という意識を呼び起こさせ、
それはかえって
独善的な政治、
富に依存する集約された富裕層を生みだし、
きわめて残酷な上下に
文化という社会構造が顕著にあらわれたといえる。

そして、
政治的地位を持つ者、
財を肥大化させ財力という特権におぼれる者を
上部構造とし疑似的支配者を生みだした。

そこでもっとも問題なのは、
下部構造と呼ばれる大衆や人民というものが
疲弊の中で閉塞感だけをつのらせるが、
自ら動こうとはせず、
まさしく聞こえのよいポピュリズムに酔いしれるという
帰属と依存という受動的姿勢を鮮明にすることで、
なんとも奇妙な安堵感と不安定要素を見ようとしない
共同幻想を生みだしたことで、
右傾化というような単純なものではなく、
国家主義や民族主義というような
排他的で傲慢な姿勢を力の象徴、強さのごとく
打算的に受け入れたことで
行き場のない世界を生みだしたといえる。

この状況をよくよく見てみれば、
奇妙な意識に到達する。
それは、
支配する側が極端な虚栄心と傲慢さ、
そこに
自らがもっとも求める承認というものが癒着することで
自己を見失い
主体性という名のエゴイズムとなり、
さもすれば、
まさに自己を喪失したかのように
自らを神のごときカリスマと自画自賛し、
それを身にまとう。

ここまでくれば
政治や経済も単なる言葉にすぎず、
本質を失ったというべきである。

また、
そのような為政者や富を得た者を
どこかで羨み、
しかし、
自らを弱きものということで
極めてゆがんだ自己肯定をしてしまうという、
まさしく支配される者の意識というものが、
無意識や無関心、時には無軌道で無責任な
賞賛というものを同調圧力的に広め、
酸素の薄い空気を吸うがごとくあたふたとするさまは、
それこそが下部構造の際たる状況である。

このように見れば、
もっとも重大なものを見失い、
もはや人間とはなにかというような意識すら、
今の肉体をもって自分は人間だ
と単に思いこむような獣的存在を
文明人だとはばからず言う
自己への背信をよしとしている。

つまり、
支配する側は、
自己肯定を賞賛というかたちの依存で、
それを承認欲求の最たる存在とも思わず
自己陶酔という自己なき自己を
存在の本質と思いこむ姿は、
それこそ主体的自己を
虚栄と欺瞞で固めただけの偽りだとは気づいていない。

また、
支配される側も
極めて不確定要素満載の社会というものに
帰属することで自己存在を確認し、
意味無き安堵というものを得ている。
そして、
その社会への帰属が、
その社会を支配する者、
そして
その社会という共同幻想の中に依存することで
自己が居場所を認めるという
きわめていびつで卑屈な受動性を
文明への依存という美名ともいえない呼び名を
よしとしてきた。

これもまた
主体性なるものを極めて危険な反動的意思とし、
本来民主主義や資本主義においても不可欠である
主体的自己というものを封印するという、
なんとも人間性なき人間らしさを
不思議なほど積極的に受け入れてきた。

ここで単純に受けとめれば、
もはや人間には自己という意識もなく、
非自己があっておそらく自己が存在するという
きわめて消極的で受動的な自己こそを
平和的で理性的な協調姿勢とうそぶくことで
自己なき自己というものを
おぼろげに理解しようとしている。

西洋近代文明とは、
常に正しきもの、信じるものを唯一無二とし、
それに頼り切ってきた。
それはあたかも、
主イエスキリストを絶対とし、
その名の下で己があるという、
さもすれば依存的かつ帰属意識の中で
物質的自己を主体的とする歪んだ思考が近代と呼ばれ、
文明社会と呼ばれる構造の中で、
唯一稀少な文化性を保ったといえ、
それを自己だと主張することで
幻想的主体性を維持してきた。

それがきわまり結果的に行き詰り、
ここに極まったといえる。

そこには、ヒューマニズムの入る余地もなく、
人間的、もしくは人間性というものは
衰退しつつあるといえる。

しかし、
先進国の一角を担うと身勝手に自負する日本人は、
もとより西洋人でもなく、ましていわんや白人ではない。
ただし、
名誉白人であると思う日本人は少なくないだろう。
欧米人同様に文明を欲しいままに得て、
それを謳歌し、
自己を見失ったとしても多くの世界が日本を認め、
その賞賛で自らを確認するという状況は、
本来の日本人のあるべき姿ではない。

たしかに
民主主義というものに対してもいまだ未熟であり、
経済は理論ではなく実行行為のみを経済とみなし、
そこには明確な論理性は必要ないとし、
西洋的思考のエコノミーを知らずして
エコノミーを語るという、
非自己における自己存在という西洋的思考が
日本人にもあふれている。

それは仕方がないというほかなく、
全否定したとしても詮無きことである。

そうであったとしても
日本人は本来の姿を取り戻すことで
この難局を乗り切れるはずである。

それは乱暴だと言われるかもしれないが、
脱西洋である。

日本人は本来、自然と一体であり、
自然と一体ということは
神との共存を常に身近に感じていた。

そして、
無為自然ともいうべき
人為のみにとらわれず
無限なる世界の存在を知らず知らず受け入れてきた。

そして、
仏の慈悲のような人間観を
絆や契りという結び目によって紡いでもきた。

そのようなものをかたちあるものにしようと
自らを見つめるという自己の存在を受け入れようと
常に努力をしてきた。

それこそが、
自然なる自己の意識であり、
それを磨くことを修身と呼んだ。

身を修めることによって確認された自己は、
常に
非自己に対するおもんばかるという心を唯一無二とし、
時と場合によっては
滅私奉公に己を見つけるという社会貢献を
ごく自然なかたちで受け入れた。

そして、
共同体としてのゆるやかな人の連鎖と結びつきを
国と呼び、
それを自らが支えるという
ゆるやかな意識と寛容と自在でより高めようとした結果、
天下泰平とも呼ぶべき世をつくりだした。

つまり、
修身こそが主体的自己の確立であり、
その集合体はより進化し、
国家は安堵される、

その国家の結びつきは
平和そのものであり、
人の理想を顕著にあらわすものである。

そんな姿を私は
修身、斉家、治国、平天下という言葉に見出す。



 

人間はいったいどこへ行こうとしているのだろうか?

デジタル化が進み、AIの極度な進化の中、
人間性をいかに保とうと考えているのか
はなはだ疑問である。

まずもって
人間の本質というものが軽視されているようで、
それでは人間は成り立たず、
滅びゆく種となるのも必然だろう。

人はそれぞれ個性を持ち、
その中に、独自の感性を育んできた。
思考と感情を心と呼び、
その心こそが人間のみが
他の動物と異なるものとする大いなる要因である。

しかし、
その心が軽んじられるのであれば、
もはや人間は獣となんら変わらない。

おそらく今日の社会は
人間を社会が支配していると考えているのではないか。
支配者にとって
獣同然の人間の方が、より扱いやすい。

つまり人間は物質のひとつであり、
たまたま命を得て、
獣よりは扱いやすい存在とされているようで、
なんとも不愉快である。

昨今では、
個人情報保護の観点から、
名札というものを表示しつつ、
そこには名前という
個人のアイデンティティにかかわるものを覆い隠す
というきわめていびつな非文化性をよしとしている。

それにも増して、
カスハラやパワハラ、はたまたセクハラなど、
いわゆるコンプライアンスという、
わかるようなわからない表現を用いて、
本質的な意味を覆い隠すという、
なんとも不可解なことがまかり通っている。

名前というもっとも顕著な個人の特定が
プライバシー対策やハラスメント対策として
表記しないというのは、
まるで人間性を欠く番号表記となんら変わらない。

ようするに、
保護と観念、そして免責、企業の自己保身、
これが入りまじった結果、
意味不明な名札は存在している。

どこが人道主義に合致するのかなんとも不明瞭で、
明確性を欠く奇妙な現象だと思えてならない。

なにもかもがちぐはぐで、
一貫性は見られず、
場当たり的な対処療法は
戦後日本人の悪い癖である。

あえてもう一つつけ加えておく。
主体性のなき個人は、
単なる従属・隷属の獣に毛が生えたものと
どこが違うのだろうか。

そして、
自己が自己として成り立たない社会の歯車的人間とは、
一体何であろうか。

まるで
社会主義のいまわしい過去を彷彿とさせるようで、
なんとも不愉快でならない。

主体的自己を基本とするのは、
自由と民主主義、法の支配にとって不可欠な要素である。
国家や社会があって個人が存在するというのは、
本来の社会の構造とはまったく異なる。
国家も社会も
一個人が主体的な存在として
つくりだすものでなければ民主的とは言いがたい。

また、
日本人にとって主体的自己の確立は、
いまわしい過去の産物と
排除してきた本当の意味での修身を見つめ直すことで、
それこそが修身、斉家、治国、平天下という
もっとも東洋人にとって大切な意味を持つのである。

名前すら公然と名乗れず、
常になにかに怯えるという社会に、
真の人間性の確立は、
もはや無理というべきだろう。

今日の日本、そしてその社会は
未来という将来を見据えるのであれば、
人の本質、個人の存在意義、
そして
なにごとに対しても
能動的であることをよしとしなければ、
社会の衰退のみならず
人間そのものの退化・弱体化は
より顕著となり
滅びゆく存在となるのもそう遠くないと
心で受け止めるべきである。

作家というものは摩訶不思議なものかもしれない。
しかし、作家ほど真意を見つめるものもない。
やはり奇妙で不思議な存在だ。
だからこそ、
多くの読み手が引きつけられるのかもしれない。

そんなことにぴったりとくる作家の話をしよう。
チェコの作家フランツ・カフカが
そんな人のような気がする。
カフカはどこかわかりにくく、
さもすれば難しいとまで言えるかもしれない。
哲学的だなどと評する人もいる。

しかし、
非常に人間的で
人間らしさを素直に表現する人のようにも感じる。

こんな表現をカフカは用いたと聞いたことがある。
それは、婚約者であり最愛の女性にしたためた
手紙の中での表現の一節である。

私は君と一緒でなければ生きていけない。
私は君と一緒だと生きることができない。

こんな意味の表現を、
なんと最愛なる女性に送ったというのだから、
よほどの変人か奇人かと思えなくもない。

しかし、
よくよく考えてみれば
非常に人間的で
人間らしい真意をつく表現のように思える。

おそらく誰もが恋愛というものを経験した際、
似たような感情にさいなまれることは
常ともいえるのではないか。
恋焦がれて愛すれば愛すほど
人は一瞬の充実感と
それには反比例するかのような
長い苦難がつきまとうのではないか。
瞬間的には
意中の人と時を過ごすというのはよいものだが、
よくよく考えれば
この最高潮が長く続くことはなく、
いつ別れが来るのだろうなどとふと思えば、
奇妙な不安につきまとわれることになる。

ただし、
カフカが最愛の女性に送った手紙での表現が、
私がここで描いたような
軽薄で陳腐なものかどうかは定かではない。

いずれにせよ、
人は常に裏腹であり、
同時にひとつのものを
二面性の中にとらえているのだろうと私は感じる。
まさしく表裏一体で、
明があれば暗がある、暗がなければ明はない。
これにも似た不可分な存在は、世の常だともいえる。

この「世の常」という言葉ですら
諸行無常というのであれば、
まさしく裏腹なのかもしれない。

こんな禅問答のようなことを言えば、
話に終わりがなくなる。
そこで、少し見方を変えれば、
人は生まれるからこそ死の恐怖にさいなまれる。
死を迎えた人は、もはや恐怖すらもない無心となるのは、
いわば真実のようなものだと言えなくもない。
つまり人間は、二面性というものを持つということで、
思考と感情というべき心を養うのではないだろうか。
おおいに苦悩すればするほど、
そこに光が見えれば、これほどありがたいものはない。

そんな思いが
下期というべき新しい時を迎える日に感じられるのも、
まさしくありがたいことである。
これも天恵であろうか。

 

今日の空はまさしく秋の空のようだ。
どこまでも青く、高く空が広がっている。
まさしく天高く馬肥ゆる秋というところだろう。

ひところの暑さも遠のき、
朝晩は冷えるといった感覚もないわけではない。
季節が移ろうとはこんなものだと思う。
時の流れは
なにもかも押し流すように移るのかもしれない。
いつまでこの秋が味わえるだろうか。

よきものというのは、短く儚い。
悪しきことは長く感じ、心を長く沈ませる。
なんとも不便なものである。
人は心を自ら動かすことができるはずだが、
実際はどうだろうか。

今日の世の中というものを見つめると、
どことなくみな流されているようで、
自らなにかを求め行動するというのは
稀少なものかもしれない。

大きな流れに身を任すというのは、
ごく自然なようで、必ずしも正しいとはいえない。
浮き草などという表現もあるが、
それは根無しというような意味ともなり、
自ずから在るというよりも
他力本願というところであろう。

ただし、ひとつ断っておくが、
他力本願という言葉は親鸞が用いた言葉でもあり、
親鸞は、自己のみではかりがたい真理があり、
真理にたどり着きたいのであれば、
信じるものはひとつであると言って、
自力ではかなわぬものに自力のみで立ち向かうのは
所詮無理な話だと説き、
信じるものはひとつと受けとめるのであれば、
ただただ信じて、その偉大なる力に身を委ねよ
と言っているのではないかと私は思う。

それは突き詰めると
儒学の
天の理にあらがうことはできない
ということと同意であるゆえに受けとめる。
それこそが、天命を知るという境地だろう。

そこまでくれば、
もはや自己というものはあって無きがごときものといえ、
よけいな人為にこだわらず、
無為自然こそがすべてである
というのもあながち間違いではない。
それこそが、
老子の説く道家たる真理ではないかと思ったりもする。

また、
無為自然とは、
自らをあるがままのままと受け入れることで、
それは自らも自然の一部だと言っているようにも思え、
日本の神の存在は自然そのものであり、
あるがままのものに畏敬を覚え、
それを神と同化するならば
日本人の本質はそこにあるのではないかと感じる。

つまり日本人とは、
仏教、儒学、そして道家の思想、
なんといっても日本古来の神道と、
これをすべてあわせ呑み
一体としてきたような気がしてならない。

そんなことを、秋空を感じつつ、
秋風に吹かれることで思い返らせられるような気がした。

日本人は、おおむね貧乏だったのだと私は感じる。
貧乏は、決して悪いものではない。
なによりも日本人は長い年月貧乏をよしとしてきた。
よしとしてきたというよりも、
知らず知らずに受け入れていたと言ったほうがよい。

時代は定かではないが、
かの帝ですら御所とは名ばかりのところに
お住まいになっていたというような話もある。
それを見かねた都の町衆が、
お気の毒とばかりに普請を申し出たなんて言う話もある。

また、
貴族や武家というものも
決して裕福とばかりは言いがたく、
もしかすると武士の決まり文句、質素倹約は志とはいえ、
本音であったのではないかと思うほどである。
下級武士なんて呼ばれる人々は、
さもすれば町衆よりも質素で、
いうなれば貧乏を美徳とばかりに耐え忍んだ
といってもよいかもしれない。

しかし、その貧乏が
一部では明治維新を生んだともいえる。
薩摩の西郷や大久保、
それらの維新の原動力の面々も下級武士であり、
決して楽な生活を送っていたわけではない。
また、
土佐の下士と呼ばれる武士たちも
土佐勤皇党などと名乗りはしたものの
生活は質素そのもので、
貧乏というものを絵に描いたようなもの
だったのではないか。
ただし、龍馬の家はもともと商家であり、
その点においては
決して貧乏であったか否かは言いがたいものがある。
いずれにせよ、その龍馬であったとしても、
それほど富というものと縁が深かったわけではない。
亀山社中をつくったとはいえ、
そこで得た利益というものは、
維新という激動の中で使われたわけで、
そこに集う面々が富を欲しいがままにしたというのは、
どうだろうか。

なによりも
明治を目指した人々も、
その目的のために財というものを使い、
いわば生きた金を惜しげもなく使ったという程度で、
富や財というものにゆかりがあったわけではない。

ただし、
明治という時代が進むにつれ、
富と財というものは西洋の仕組みのごとく変わり、
富める者と貧するものという
上下の構造ができていったといえる。
それであっても、
士族や平民と呼ばれる人たちは、
ほとんど貧乏といったほうがいいありさまで、
それはそれとして
その時代のありようを受け入れたといえる。

昭和という時代は
まさしく激動、動乱の時代として幕が明け、
大東亜戦争敗戦という状況になるまで
日本人はおそらく
1億みな貧乏だというようなものだっただろう。
良し悪しはとりあえずさておき、
貧乏をその時代の言葉が明確にあらわしている。
「欲しがりません。勝つまでは。」
この言葉は、
単に戦争に勝つというような意味だけではなく、
厳しい生活の中で、自らを鼓舞し、へこたれない
という気概だったような気もしなくはない。
本当は、「勝」ではなく「克」の文字を
日本人の多くは浮かべていたのではないかと、
私は感じてならない。
だからこそ、戦後の混乱の中で食うや食わず、
すべての日本人が
歯を食いしばって生きてきたのだと思う。
そして諸事情があったとしても
高度成長期などという言葉が生まれ、
日本人は少しずつ、
すこし貧乏が懐かしいものとなったのかもしれない。

このような精神性は、日本人の美徳でもあり、
基本となる心持ちであり、
いうなれば
日本人の文化の基礎のようなものといってもよい。

西洋にみられるような極端ともいえる貧富というものは、
日本が体系化され、
国という認識が少しずつ広がっていく際にも、
それほどの格差というものは
あったようでなかったように、私は思う。
西洋は、明確に支配する者とされる者。
支配される者は、いわば奴隷(農奴)という存在で、
まさしく支配されるというよりも、
人であって人でなしというような思考が根付いていた
といえる。
だからこそ、
16世紀に啓蒙思想というものが生まれ、
その思想が西洋の近代をつくりだしたと言ってもよい。
そして、
権力者による支配という政治が
一方的な支配ではなく
民衆と呼ばれる庶民と向きあわなくてはならなくなる。
その庶民を市民と呼び変え、
新たな社会構造がつくられた。
そうであったとしても
貧富の差というものは一向に変わらず、
その貧する者たちは常にのし上がることができなかった。
しかし、
経済というものが新たな市場というものを生み、
そこへ資本主義が少しずつ成長したことで、
身分に基づかない富を基礎とする上位者が生まれた。
それを新世界と呼ぶ米国は、もてはやす。
結果として米国における成功者、
つまり上部構造は、富める者そのものである。
米国には、欧州に見られる階級というものが存在しない。
民主主義と資本主義の新たなる実験場であり、
その社会は、いかなる者にもチャンスがあるという
まったく新しい社会構造である。
それは資本主義がもたらす自由と競争原理による、
すべての者はチャンスをつかむ権利がある
というものである。
それが米国の持つ力であり、
それを魂のごとく誇っている。

いずれにせよ、
西洋、いわゆる欧米には
階級と富というものが密接につながり、
その格差は今日においても明確なものである。

このような社会構造が
敗戦によって日本にもたらされ、
まさしくGHQの占領は、
民主主義の名の下の米国化というべきである。
その米国化が1980年代に見られる日本の狂気で、
富こそが力、財があってこそその地位
というような感情を日本人に植え付ける結果になった。
それから今日に至るまで、
日本人の中に貧乏という言葉は消滅しつつある。
残ったものは、きわめて西洋的な貧困そのものである。

貧困という言葉欧米にあったとしても、
おそらく日本には
戦後まもなくまで存在しえなかったと私はみている。
貧困という言葉に希望はない。
あるのはただただ失望、そして絶望である。
ただし、
絶望という言葉には裏腹なものがあり、
絶望を極めれば
かえって希望という光が見えることもある。
それは、
私たち日本人が日本人の本来の姿に戻ることである。
よき貧乏を目指し、
その貧乏こそが
好奇心と探求心を生む原動力であることに
一日も早く気づくべきである。
それこそが、脱西洋化だと私は信じてやまない。