お盆が近づくとなにを連想するか。
なんて話を知人としていると、
知人いわく、「おはぎ」という。
そこで私は、
「おはぎ」とは「ぼたもち」のことかと尋ねた。
すると知人いわく、
おはぎもぼたもちも同様のものであるが、
実は季節によって呼び名が違うと教えてくれた。
その呼び名は、
春は、「ぼたもち」。
なんと牡丹の花に由来するそうだ。
夏は、「夜船(よふね)」。
その由来は、米を搗(つ)く音が聞こえない、
それを夜陰に船が着くことにあてた言葉らしい。
(搗き知らず→着き知らず)
秋は、「おはぎ」。
秋の萩の花からついた名である。
最後に
冬は、「北窓(きたまど)」。
北の窓から月が見えぬということに由来するもので、
これは夏の表現と似たものである。
(搗き知らず→月知らず)
日本の風情とは、
やはり春夏秋冬というものと
密接な関係があるというものである。
また、言葉に美的感覚がおおいにみられ、
日本人の感性というものが
たん案る実体をともなうものばかりではなく、
心で感じとるものであることを物語っている。
そのような美しい話のあとに
少し土着的な話をつけ加えたい。
私が「ぼたもち」と表現したのには、
地域的な理由がある。
私は、福岡生まれの福岡育ちであるが、
同じ福岡県内に北九州というもうひとつの大都市がある。
北九州小倉は、
博多から新幹線で20分ほどの位置にあり、
近いようで遠い。
そんな小倉の街に
若いころはよく遊びに行ったものである。
小倉は、福岡の同じく城下町であり、
それなりの文化をつくっている。
明治以後になると、
日本の重工業を支える基幹産業の中心地で、
小倉は、おおいに繁栄していた。
そんな小倉だからならではの話がある。
小倉を含めた北九州の人々の間では、
このぼたもちはいわばソウルフードである。
もう40年ほど前に初めて知り驚いたのが、
小倉の屋台には酒がない。
その代わりに、なぜかぼたもちがあるのである。
私が足しげく通ったのは、
小倉城からほど近いところに軒を連ねるおでんの屋台だ。
小倉は、ぼたもちと並びおでんも有名である。
おでんの屋台といえば日本酒。
と言いたいところだが、
このおでんの屋台も酒は一切出さない。
ただし、酒の持ち込みは暗黙の了解のようで
近くの自販機から缶ビールを買ってくる人々も
少なくない。
そんな屋台でなぜかぼたもちが置かれていた。
このぼたもちは、この屋台のみの特別な話ではなく、
どの屋台に行っても必ず存在する。
いわれはさまざまあるようだが、
北九州という街が工業の街であり、
そこで働く人たちは、いわば肉体労働であり、
かなり肉体を酷使することで
甘いものを欲するという説が有力で、
屋台はなんといっても手軽に食べられるという
もうひとつの理由もあるそうだ。
そんな風習が北九州の人々には広く受け入れられ、
ぼたもちはソウルフードとなったようだ。
また、ぼたもちという呼び名も
北九州から筑豊地域では、
石炭のぼたとかけたという説もあるようで、
なんとも地域性を感じさせるものである。
今述べた筑豊地域、飯塚や田川は、
ご存じのとおり石炭の一大産地である。
伊藤伝右衛門に代表される石炭王が活躍した街で、
その時代は現代の福岡よりもより華やかであった
と言われる。
炭鉱労働者もまさに肉体労働であり、
それが原因で筑豊地域には福岡を代表する菓子の名店、
メーカーが多いともいわれる。
全国的に言えば千鳥饅頭もそのひとつで、
本家本元は筑豊である。
それと、歴史をもう少しさかのぼると、
この飯塚から
北九州黒崎を通り小倉、周防灘につながる地域までを
長崎街道という街道が通っていた。
九州から東を目指す際、
瀬戸内海を通り畿内に着くという回路が存在する。
江戸時代に長崎は外国との窓口で、
そこに砂糖や南蛮菓子が多く持ち込まれたことを
ご存じだろうか。
その砂糖は、長崎街道を通り畿内に運ばれた。
つまり、
長崎街道(シュガーロード)沿いに
砂糖が運ばれたことで、
その砂糖を原料とする菓子の発達が見られたという。
このような話は単なる余談で、
知人と私の話題はお盆にかかわるもので
おはぎかぼたもちかという議論もさることながら、
菓子の話はまったくの余談である。
会話とは不思議なもので、
たった一つの話題が話していくうちにさまざまに広がり、
会話とは人と人の心をつなぎ、
そこに豊かさというものをもたらしてくれるものと思う。
もう一つ余談をつけくわえておこう。
昨今、北九州のうどんチェーンが全国展開しつつある。
そのうどんチェーンにも
このぼたもちはメニューに盛り込まれ、
おおいに客の舌を楽しませているという。
これも北九州発祥ならではのものである。








