今日は花粉症がひどい。

花粉症が出かけると注意力も思考力も
なんともいえぬほどに低下する。

昨今、年を取ったせいか
何ごとに対しても正面からぶつかるというようなことが
できないとは言わないが、本気でやれる気がしない。

現在、我が人生は
花粉症の状況と同様でぐずぐずとするばかりで、
なにかやりきれない思いばかりが残ってならない。

現状の日本は、
すべて上澄みのみのような状況で
基礎となるものが無く、
そのような話をすればつまらないと言われるだけで、
時間の無駄ばかりが感じられてならない。

本日2月24日は、
ウクライナ戦争が2年の経過を経た日である。

日本のメディアを見れば
戦争というもの単に忌み嫌い、
平和というものの尊さを語るが、
メディアの言う平和とは
上澄みのようなものと同様にしか思えない。

日本は、いつの間にか
人間の基本すら意味のないものとするようになった
と言える。

人間のみならず生物というものは
生存のために闘争することは必然であり、
それは言い換えれば本能的行動である。

即ち暴力は生物である以上
避けては通れぬ基本であることを、
中途半端な平和などという言葉で
誤魔化すことはできない。

いわんや言動とでも言うべき正義感など
無駄というよりも
醜悪な偽善とでも言うべき存在である。

人の死などまったく考えることもなく、
安全や平和などという言葉の誤魔化し、
もしくは遊びで、
あたかも立派なことを言っているかのような
振る舞いをする者こそ不義そのものであり、
そんな者が
この社会の中心的役割を果たしているようでは、
お先真っ暗というところである。

このことは
現有の政治家や政治活動を
上澄み的に行っている者も同種の存在であり、
政治すら食い扶持にしているにすぎず、
こんなものを野放図に野に放すことは
自滅の一途と言わざるを得ない。

これは
政治というものに携わるすべての者の責任であり、
また、政治にそれなりの影響を与えるメディアも
同様であると言える。

それにも増して
経済などという言葉で誤魔化す守銭奴どもが
これらにしがみつき、
さもすれば宿主を食い尽くす寄生生物とならんとするが、
救いようなどないと言っても過言ではない。

ただし、愚性が信じるところでは、
ひとり一人の日本人いわゆる大衆と呼ばれる人々は、
決してここに述べた者どもと同様とは思えぬ。

真の日本人たるもの道理を忘れず、
他者を慮る存在であることは、
これまでの歴史を見ても明らかであり、
いわば、滅私奉公を旨とするのであれば、
必ずやこの窮地を自力をもって乗り越えるものと信ずる。

誰が悪いなどと愚痴ばかり言ったとて、
何一つ変わらぬ。

己の力で成すべきことを成すことこそ、
日本人のつくりだすべき道であると信じてやまない。

やはり花粉症が愚者の心に重くのしかかるのか、
久々にこのようなことを言わせしめたことを少しばかり後悔する。