昨年の夏に出会った人物がいる。

その方の存在が、令和6年という年に
新たな自分の道を開かせてくれたように思えてならない。

その人物は、村田春樹氏である。

村田氏は、元縦の会期生で早稲田大学卒業である。

早稲田と聞いて気が付く方もおられるだろう。
それは、楯の会の学生長 森田必勝氏の通った大学でもある。

村田氏は、森田氏のなんとも言えぬ絆を持った人物であり、
森田氏を通じて三島由紀夫という人物に触れたという
非常に貴重な体験を得た方である。

この村田氏との出会いが、
還暦を過ぎ残りの時間を数えた方が早い私に
再度目を開かせてくれた方のように思えてならない。

幾度も電話で村田氏の大事な志や新年を伺うにつれ、
私がどのように生きてきて何をなすべきかという思いを
思い起こさざるを得ぬ状況にしてくださった。

村田氏は、昨年11月に
非常に意味の深い書物を書き上げられ出版されている。

それが、
「三島由紀夫は蓮田善明の後を追った―開かれた皇室への危惧」
(展転社)
である。



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三島由紀夫は蓮田善明の後を追った―開かれた皇室への危惧 単行本(ソフトカバー)
2023/11/25
村田 春樹 (著)


私は、中学3年生の時に三島由紀夫という人物と出会った。

三島先生は、昭和45年11月25日に自決なさっており、
私の中学3年生という年を考えると亡くなった後の話である。

その時手にした本が「行動学入門」である。



この時以来、私は三島由紀夫という人物を魂の師と仰いでいる。

しかし、人というものは、
成長するにつれて俗にまみれるもので、
私もその通りの歩みをしていた。

故に、常に三島由紀夫という人物の存在と
その残した言葉を心には持ち続けたが、
世俗にまみれるほど
三島先生は遠い存在となったことは非常に残念であるが、
事実と認めざるを得ない。

そのような私も50歳を迎えんとする頃、視力を失い、
俗世というものすら私には手の届かぬものになった。

高校から付き合いのある旧友が、
私に声をかけてくれたことで、
牛歩の歩みのような状況ではあったが、
新しい道を開こうと考えた。

そのような最中に、魂の盟友というべき人物と出会い、
私が忘れかけていた
三島由紀夫という魂の師を思い起こさせてくれて、
今では巷からは右翼人のごとく呼んでいただいている。

否定はしないが、
私自身右翼人と呼ばれるほどの学びもなく、
自分自身は、
士道を求める一介の浪人のような気すらしている。

このような気持ちで新たな出会いに感謝し、
数多くの立派な日本人と出会うことができ、
学ぶことと行動することを諦めてはならないと思わされた。

そのような立派な日本人のお1人が村田春樹氏である。

普段は、村田先生とお呼びしているが、
ここでは、三島先生がおられる故、
あえて氏と呼ばせていただいている。

年も明け、10日になろうとしている今言うことでもないが、
本年より私は三島由紀夫、森田正勝両烈士の志と信念に、
己のなすべきことを見つめさせていただき、
確固たる信念を持ち、行動を起こす所存である。

また、魂の盟友と行動を共にしたいと願い、
その盟友が最も大切にしている故
野村秋介氏の志と情念についても新たに学び、
その行動についても意味を導き出し、
わが道の先にあるものと受け止め、
残存すると思しき人生を得たいと考える。