政治と政治家に絶望したと昨日書いた。
しかし、
この絶望はなにがもたらしたのかということを
考えなくてはならない、
その答えは、
国民という参政権者がもたらした結果である。
つまり、
日本人に失望したと言ってもよい。
もはや日本人には、
主体性というものはみられず、
自主的という言葉は空虚なものとなった。
参政権は
自由と民主主義、法の支配において
もっとも大切な意味を持つ。
しかし、
この日本、そして日本人は、
そんな認識すら言葉面だけで、
つまらない観念のようなものになり果てた。
今日の日本に
左右というような政治哲学や
それに伴う理念なんてものは
ほぼ形式的なもので
本質を失っているといってもよい。
左右両派ともに原理原則を忘れ、
理念というよりも
なんとなくといったような観念で
政治が語られる。
だからというわけではないが、
すべての政治的主張は
意味不明にして
簡潔らしく見えるスローガンとなっている。
つまり、
中身はないということである。
常に「なんとなく」というような漠然とした意識が
何度も何度もくり返されることによって
まやかしの認識へ変えられる。
これでは
「中道」という言葉は
なんとも希薄でつかみどころのない言葉に
聞こえるのもしかたがない。
ようするに日本人は、
いつしか政治音痴になり、
やむなく政治エンターテインメント(娯楽)
として受け止めるほかなかった。
その結果、
今回の選挙の結果が生みだされたのだと
私は感じてならない。
大衆迎合は、
大衆扇動へとまもなく変わるだろう。
扇動された国民が、
その事実に気づく日が来るだろう。
そんな日を迎えた国民は、
おそらく
絶望に打ちひしがれ、悲嘆にくれるに違いない。
私は、そんな日本人に失望した。




