石川県を中心にゴールデンウイークからイベント続きの5月・6月でした。
我が民間防災も仕掛け屋として全国の活動者向けに情報をご提供させていただきながら、アイディアをカタチにしていただいた半年でもあります。
さてさて、私自身(総合企画室)、2000年に入ってからは外面(そとづら)を無くすように動いておりまして、陰にこもっております。
これにも訳がありまして、一歩外に出てしまうとその場を離れなくなり、今欲しい情報がその場だけの情報しか手に入らなくなってしまうのです。こういった視野の狭いやり方では包括な見せ方が出来ないということ。それと片入れな思考が足かせとなるケースが多く、情報過多の中、出しているネタを拾ってくれる確率も低くなってしまうという状態にハマります。
九州北部豪雨でも影響のない管外にいるおかげで、必要物資・物資確保などの情報の提供先とアポイントがとれ、ご尽力いただけましたし、現地からの声も広く拾うことが出来たと感じています。
現在もその時につながった方々との交流もあるので、不安要素があれば即時に警戒呼びかけから逃避行動・避難行動へつなげられる間柄です。
それと、表面活動で足かせと感じることも今まで多く有り、例えば、ボランティアセンター経由で参加される方々へのレクチャーもそうですが、逐一、説明しないとスタートが切れないというのと、どなたが活動内容を熟知されている方なのかが全く見えないという状態が続きます。
ならば、ボランティアを育成するよりも、安全不安全を判断できる「防災人」を育成する方が適切なのじゃないか?!と感じて、表面活動を避けて「企画(アイディア)」と「作戦(策)」に仕える立場に転身させました。
そのおかげで、外郭チームとのつながりや民間防災交じりのチームも出来たり、主としていた「防災人」を点在させる動きに繫栄させられたんじゃなかろうかとも感じています。
現地の泣き言も想像できるのも、現地の大変さを知ったうえで転身させられるんでしょうが、何よりも「先のこと」を見越して計画を立てられることに神経を使えるのがやりがいというよりも、役務・責務に近い感覚ですね。
さて、こういった活動もビジネスとして成り立つように仕向けたい思いなのですが、この災害大国日本ではまだまだ収益事業化には適した環境ではありません。反面、お客さんになってくれそうな方も多いとは思いますが。
メディアで解説なさるのも大学教授のような研究者か、ようやく防災士が呼ばれるようになり、もともとメディア出演をしていた私たち探求者も代替えの時代になった気がします。
そういった背景もあり、民間防災を進める際にも芯に持っていた「防災人万人化計画(47プロジェクト)」を今一度発展させていこうと考えました。
それと、「姿なき活動者」と言われるのもカッコいいでしょう?!( ´∀` )(アーティストでも姿を見せない人も居るよね)
とま~ こういった感性でこの能登半島地震に立ち向かっております。
必要な時に必要な人が居ること!
47プロジェクト(防災人万人化計画)の本望はここにあって、必要な時に傍にいてほしいのは「ことを運べる」人。こういう人材がその場に居ることなんです。
しかし、単人じゃ負荷がかかりすぎるので、そういった方々を散りばめたり、くっつけたりできる仕組みを作るんです。
今回の能登半島地震では本当に救われたと感じたのが「管外から現地に向かって行っていただいたタイトルを持つ活動者(体)」の皆さん。それと被災役所のバックアップをしてくれた役人の方々。
とくに対口支援という言葉が標準化した今回は、被災地にて動かれた役人さんは経験値が上がったと思って、これを基礎にしていただきたい思いです。地元事象時には必ず役立つことと思いますので、糧になさっていただけますように。m(__)m
そしてありがとうございます。m(__)m
まだまだ荒れ地となっている「能登半島」です。この先もまだ大きな揺れにも遭うことも念頭に、「新しい石川創造」に向ってまいりましょう。(石川県知事に成り代わりましてお手伝いいただく方々に御礼申し上げます。m(__)m)