2024,02,23 記憶を記録しないといけない年頃になった「1.1能登半島地震」 | 民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

民間の「危機管理者」として行事の「保安計画」「地区防基準」策定のお手伝い、活動グッズの企画・販売を手がけています。
各地で「民間防災」を起動する「防人」を募りながら、趣味や特技・資格・職域での非常時活動体の構築にもお手をお貸ししています。

やはりここ(南砺市)も被災地

まだ被害のあった方々には救済金が出ていないようです。

 

今月の12日は私の61回目となる生誕記念日だった。

自分ではまだ30歳代という感覚で、まだ若造的に生きてるんだけど、どうも身体の動きと発想が乏しくなってきた気がしてる。

 

とはいえ、正月発災の能登半島地震では仲間内のところまで行くまでに、そこそこの身なりも、携行品も、車載セットも準備して、なおかつ、拠点先家屋の整理もそこそこ施して石川県庁向けに動いてはいるんだよ。

 

立ち上げ間もない「石川県災害対策本部」と連なる関係部署の状況。

この日は航空偵察を軸に構成され、現地の状態把握を急がれていた。

 

救出期での自衛隊や広域消防、警察レスキューの動きも逐次上がってくる。

衛星撮影なども屈指しながら、能登半島の独特な地形における被害と津波の影響範囲を観測。

続いて広域避難に結ぶための輸送法なども検討される。

 

石川県庁の最上階には展望ロビーがあって、正月でもフロアに上がることが出来ます。

ただこの日からの駐車場は国の省庁といった機関、救護に当たる日赤といった車両で埋め尽くされ、正月ムードはトッパわれていました。

詳細な写真は載せることが出来ませんが、お見せできる範囲でお載せしておきます。

庁舎には自衛隊の指揮者と並走する編隊車両を置いて対応しています。

この日以降には、ガス会社、電力会社、水道局などのインフラ修繕のプロたちも結集。

孤立集落へ向かう道路啓かいへは航空写真をもとに限りある重機の采配も行われています。

 

 

今も思うのですが、正月というのはどこかしら人の動きが鈍いと感じます。

 

【災害対応に必要な人たちの大半はお休みをとっていた。】

 

そもそも国民の7割以上がお休みとなっていて、自宅で過ごすか、帰省するか、旅するか。もっと広く言えば「自宅にいる」のか「自宅外」なのか?だったわけですよ。

商店でも元日だけはお休み!となさってるところも多いですよね。

そういう人たちを呼び戻すことに暇がかかるという、スタート地点の条件が悪かったのは事実ですね。

私も金沢拠点の時ならば正月夕方とあれば初詣へ行っていたかもしれません。

 

たまたまこの時は拠点先にいたので動きがとれたまでです。

ただ、私は1年半前に心臓のオペをしてしまい、身体障害者になってしまっている身。

クルマの運転にも制約があったりと、自身の身動きには自重しなければならないという条件があるのですが、発災翌日の1月2日、この日も朝から薬も食べ物も摂取していなかった。

というより、摂るタイミングを逃してた。

 

タイミングといえば、発災を迎える前年の10月にFAST型ヘルメットのレスキューオレンジカラーをオリジナルで作ってあったんだ。この日がデビューとなるとは考えてもいなかったから、血液標記もネームもまだ取り付けていなかった。

それと秋冬用に作った新活動服もまだ装備を取り付ける前だったのです。

 

今もなお能登半島地震への後方支援と明日からの動きを企てながら生きていますが、今欲しいのは防犯の活動者が異常に少ないというのがこれまでの災害と大きな違いだと感じます。

これまでの事案時は地元に残っている人たちが街角に立ってみたり、青パトを出したりしていたのですが、今回は他地域からの応援が必要なくらい乏しいという印象ですね。被災か所が点在する地形なので、ついでに回ってあげるってことができないという。

この辺りが気がかりで、クルマを使った警戒活動があっていいかもと思っています。

 

 
こういった活動素材も民間防災が事前に企ててありますので、活用なさってみてはいかがでしょうか?!
 
ちなみに、防犯活動は異常を見抜く手段でもありますよ。m(__)m