2024,02,11 もうひとつの「い しょく じゅう」が問題なんだよ!「1.1能登半島地震」 | 民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

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民間の「危機管理者」として行事の「保安計画」「地区防基準」策定のお手伝い、活動グッズの企画・販売を手がけています。
各地で「民間防災」を起動する「防人」を募りながら、趣味や特技・資格・職域での非常時活動体の構築にもお手をお貸ししています。

前回にお書きいたしましたが、「い しょく じゅう」にはもう一つの「いしょくじゅう」があると。

 

医・職・従

 

やはり出てきている問題というのが、このもう一つの「い しょく じゅう」なんです。

 

激震地内の役場や病院ではすさまじい揺れの後、公務や人命のために動きっぱなし。

自分の時間も作れずに従事した人も多く、数日後からはバックアッパーも応援にやっては来ていますが、何といっても土地勘のない外郭者なんです。

 

部落の話をされても対応が効かないというのが実態で、地元の人は船頭役となってしまい、応援が来ても休めない。

これは全国組織の警察も同じで、管区警察からの応援があってもPCのナビを頼りにパトロールしかできないというのが大半で、110番指令で動くのは地元の所轄さんです。

事前に持ち受けの現場があるのならお任せできるのですが・・・。

 

いつの時代も同じシーンを見てきています。

 

だから、同業や同じ職務をしている人、組織と非常時支援協定やら応援、臨時雇用といった仕組みを作っておかないといけないわけです。

それでも機能しないのは、正月だったということもありますが、平素に協定先と発災日の翌日にはどういった手順で入ってきてもらうのか?といったルールを作っていないからじゃないかなと。

確固たるルールができれば、それを自動的に起動できるように訓練したり、係が移動する公務員ならば特に申し合わせと同時に協定先まで実際に動いてみることですよ。災害時支援訓練をかねた現地訪問。

こういったところに公費をつぎ込んでも問題視しませんからね。視察と言って旅行気分になってる旅団より実になるってことですよ。

 

さて、そういった専従した人たちからは嘆きの声が出てきたという話です。

 

 

むかし、被災役場のカウンタ内に入ったこともあって、その時に集まってきた住民さんたちの第一受付者を回れ右させて、受付担当のお手伝いをしてもらったことがあります。「今私たちが説明したことを次の方たちに案内して書いてもらってください。」とスタッフ化させました。

その間に手を空けた役場員と地図の準備やら指揮場にするためのレイアウトやら、さらには住民さんにお願いして、避難スペースの確保。廊下にある長椅子やテーブルも屈指して作戦室と泊まり込みの寝床に使う。

 

現代はコーディネーターというのがどの分野にもいるそうで、官民業の橋渡しもできやすくなっているはずだし、社協さんのようにすでに窓口だと認識されている人たちも居るわけで、動きはスムースになっているはずなんです。

ただ、人間は空腹で2日も寝なかったら嫌になるのも早いんですよね。このごった返している一番忙しい瞬間にそれがやってくるわけですよ。

でもまだ良い方です。当日から立ち上げに携わったら最後まで面倒見ないといけないと思ってしまうのも私の本音です。途中下車できなくなるんだよね。

性格とはいえませんが、こころ残りを持ったままではその場を離れられないっていうのがあるんだよね。

ってなって、最終的に勤め先を辞めないといけなくなったりと。これボランティア難民って言うんです。

 

激震地の職員方々はきっと、疲れて気の迷いもあるんでしょう。

特に医療系は私たちが代わってあげられる業務ではないから。

公務はどうだろか。政令や府令は我々民間人では携われないでしょうが、先の受付や案内、説明程度は住民でもアシストやサポートはできる気がします。

おそらく役場側からすれば民間には頼みにくいのでしょう。そこでコーディネーターの出番じゃないのか?な。

こういうネタがあるということをコーディネーターの耳に入れてみてはいかがでしょうか?!

 

公務員だから・・・って気負わないでいいと思うんだよね~。

 

なので僕はレスキューオレンジの活動服を着て、正々堂々と動いうている つ も り。( ´∀` )

 

僕はそういった柔軟な防災活動家でありたいな。