ミニしょこです♪


今回はドラマ大奥で話題の亀梨和也さん演じる徳川家治について調べてみました。



一部、今後のドラマの内容のネタバレになるかもしれない点があるかもしれませんのでネタバレが嫌な方はブラウザを閉じていただければと思います。



ちなみに徳川家治は、江戸時代中期から後期にかけての日本の将軍で、江戸幕府の第10代将軍として知られています。


徳川家治とは?


徳川家治の治世は1760年から1786年まで続きました。


家治は徳川家重の長男として生まれ、幼名は竹千代でした。彼は文武に明るく、特に祖父である8代将軍・徳川吉宗からの影響を強く受けて育ちました。



吉宗は家治に直接教育を施し、帝王学などを教えました。



家治は、政治よりも趣味に没頭することが多かったとされ、特に将棋に優れていたと伝えられています。



彼の時代には、田沼意次が老中として政治の実権を握り、幕政を主導しました。家治自身は、田沼の政策を支持し、その後ろ盾となっていました。



家治の治世は、田沼時代とも呼ばれ、経済的な発展が見られた一方で、贅沢な生活や汚職が問題となりました。




家治の私生活においては、質素倹約を心がけ、大奥の経費を削減するなど、祖父・吉宗の影響を受けた面も見られます。



御台所との関係は?


家治は愛妻家としても知られ、正室の五十宮との間に2女をもうけましたが、男子には恵まれませんでした。



後に養子として迎えた徳川家斉が11代将軍となります。


その後はどうなったの?



家治の死後、田沼意次は失脚し、その治世は批判の対象となりました。



しかし、家治自身の評価は時代とともに変化しており、政治を委ねたことが英断であったとする見方も存在します。


まとめ

徳川家治についてあなたはどう思いましたか?




私は大奥というシステムがありながらも愛妻家の将軍もいたのは知りませんでした。




徳川家というと家康や吉宗などに目が行きがちですが他の将軍の事も調べてみると新たな発見があるかもしれませんね。