このまえ、用事で北九州市小倉に行きました。
小倉駅にあの人たちが雑誌を持って立っていた。
ただ、黙って突っ立ている。
その横では、可愛い犬猫とボランティアの人たちが”新しい飼い主探し”をされていました。一生懸命、関心のある人に安易な譲渡をしない理由や里親としての心得、飼えない人へも募金の必要性などを話している。
対照的だなと思った。
私は自分で選択ができない立場の人々には、かなりの感情移入があります。犬猫などの動物たち、小さな子供や動けなくなった老人・・・ 根気強く、愛情を持って接することが出来ます。
それは、自分で選べない、頼るしかないということは保護者と自分の回りの人によって”自分の世界”が決まるということだから。
自分が身を持って知っているし、わたしの言動や決定が彼らの幸せに大きな意味があることを解っているので、安易な決定や言動をすることがない。
深く考えずとも、健全な愛や感情の多くの親や大人はそうでしょう。
無条件的な愛や憐みを感じます。
あの人たちはなんて依存的で、無責任なんだろう・・・
そんな解りきったことをイチイチ思うことはなかったのに、急に怒りを感じました。
身なりは汚くなかった、貧困の極限ではない。そうであれば、現在の社会を感じることは出来るはずで、グローバルな知識や一昔前より生きるのが厳しい事や貧富の差が生じるシステムも解るはず。壮年の人たちがすることではない。
家族や自分のためにせっせと仕事や諸々するべきことがある。
あの行動を正しいと思ってるのは、自分の不幸や利己的な幸せにフォーカスしているからとしか思えない。Me! Me! Me! それは大人がすることじゃない。
あの人たちも社会の、今の世の中の恩恵があるはずです。老人になれば年金や福祉、周囲の世話になることでしょう。
その時になって、人や社会の憐みを受けるつもりなんだろうか。
大切なエネルギーやお金、税金はそんな人の尻拭いでなく、今からの子供たちの教育や医療に使ってほしいと思います。