第2章|善意は、どこで「介入」に変わるのか── 境界が静かに崩れていく心理ポジション
第1章で見てきたように、
新年に強まる「立て直し衝動」は、
前向きな意欲というよりも、
回収できなかった感覚や、止まれなかった時間への違和感から生まれています。
それは、
何かを新しく始めたいという衝動ではなく、
「元に戻したい」「崩れた気がするものを整えたい」という、内側からの切迫感でした。
そしてこの衝動は、
行き場を持たないまま、
ある特定の方向へと流れ込みやすくなります。
そのひとつが、
子どもへの“関わり方”です。
ここからは、
その衝動がどのようにして
「気づいたら関わりすぎている状態」
つまり介入へと変わっていくのかを、
行動の良し悪しではなく、
母が置かれている心理ポジションの構造として見ていきます。
これは、
過干渉を責める章ではありません。
むしろ、
「なぜそうなってしまうのか」を
母自身が理解できる位置まで、
言葉を下ろすための章です。
1|善意と介入は、行動では分かれない
「心配だから言っただけ」
「手伝ったほうが楽だと思って」
「失敗してほしくなかった」
介入と呼ばれる行動の多くは、
こうした善意の言葉を伴って現れます。
だからこそ、
一般論で語られる
「ここからが過干渉」「ここまではOK」
といった線引きは、
現実の母たちにはほとんど役に立ちません。
なぜなら、
当事者である母自身が、その線を見失っている状態で起きているからです。
善意と介入の違いは、
言葉の強さや、回数や、内容ではありません。
決定的な違いは、
その関わりが、「誰の不安を下げるために行われているか」という点にあります。
・子どもが困っているから動いたのか
・それとも、動かずにいられない自分の不安を下げるためだったのか
この二つは、
外から見ればほとんど区別がつきません。
母自身もまた、
その場では区別できていないことがほとんどです。
なぜなら、
立て直し衝動が強まっている状態では、
「自分の内側のざわつき」と「子どもの課題」が、無意識のうちに重なってしまうからです。
このとき母は、
境界を越えようとしている自覚を持っていません。
むしろ、
「ちゃんとやろうとしている」
「放っておけないだけ」
「見過ごすほうが無責任」
という、正しさの感覚の中にいます。
だからこそ、
介入は意図的な支配ではなく、
気づいたら越えている境界として起きるのです。
次の章では、
この「気づいたら越えている」状態が、
どのような心理構造の中で生まれるのかを、
さらに深く見ていきます。
母が悪いのではなく、
母がその位置に立たされている理由を、
ひとつずつ解いていきましょう。
https://note.com/hapihapi7/n/n1dfae8290ab9

