第1章|「今年こそは」が、なぜ母を苦しくするのか

── この時期に強まる「立て直し衝動」の正体



1月になると、多くの母の中に、
理由のはっきりしない落ち着かなさが生まれます。

大きな問題が起きているわけではない。
生活が破綻しているわけでもない。
それでも、

「このままではいけない気がする」
「何かを立て直さなければならない気がする」

という感覚だけが、静かに強まっていく。

それは不安というほど明確でもなく、
焦りというほど派手でもない。

けれど確かに、
“今のままではいけない”という圧だけが、内側に残る。

この感覚を、言葉にできる母は多くありません。

「気合が足りないのかな」
「もっと頑張らなきゃいけないのかな」
「ちゃんとしなきゃ」

そうやって、自分の内側に向けて言葉を投げながら、
理由のわからない衝動だけを抱え続けていきます。

この文章は、
その“立て直さなければ”という感覚を、
意欲や成長欲求として扱うためのものではありません。

なぜ、その衝動が生まれるのか。
なぜ、毎年のように1月に強まるのか。

母の内側で起きている構造として、
それを言語化するための文章です。

1|なぜ1月になると「このままではいけない」と感じるのか


1月は、生活が急に変わる月ではありません。

仕事の中身が変わるわけでもない。
家事の量が減るわけでもない。
子育ての負荷が軽くなるわけでもない。

それでも、多くの母の中にだけ、
「区切られてしまった感覚」が生まれます。

一年が終わった、という事実。
新しい年が始まった、という空気。
「去年」「今年」というラベル。

この“時間の区切り”が、
母の内側にだけ、独特の圧を生みます。

それは比較です。

・去年の自分
・理想としていた自分
・本当はこうありたかった母の姿

それらが一気に重なり、

「私は、何か変われただろうか」
「何か積み上がっただろうか」
「ちゃんと進めていただろうか」

という問いが、無意識に立ち上がる。

ここで重要なのは、
この問いは“前向きな成長意欲”として生まれているのではない、という点です。

母の中に生まれているのは、

「時間だけが進んでしまった感覚」です。

やることは減らない。
役割は終わらない。
毎日は回し続けている。

けれど、

「自分の人生として進んだ感じ」が、残っていない。

生活は進んだ。
時間は過ぎた。
年は変わった。

でも、自分の感覚だけが置き去りになっている。

このズレが、

「このままではいけない」
「何かを立て直さなければ」

という言葉にならない衝動を生みます。

それは目標設定でもなく、計画でもなく、
違和感の処理衝動です。

だから具体的な内容がない。
だから漠然としている。
だから説明できない。

ただ、

“今のままではいけない気がする”

という感覚だけが、内側に残る。

1月に強まるのは、
環境が変わるからではありません。

時間だけが区切られ、
役割は何も終わっていないからです。


母の人生は、区切られていない。
母の役割も、終わっていない。
でも「年」だけが終わる。

このズレが、
母の内側にだけ、独特の圧として残ります。

それが、

「立て直したい」
「軌道修正しなければ」

という衝動の、最初の正体です。


2|立て直し衝動は、意欲ではなく“回収できなかった感覚”から生まれる


「今年こそは頑張ろう」
「今年こそは変わろう」

こうした言葉は、一見すると前向きに見えます。

けれど、1月に強まる立て直し衝動の多くは、
何かを“始めたい”気持ちから生まれているわけではありません。

むしろその逆です。

母の内側にあるのは、
回収しきれなかった感覚です。


去年一年、確かに走り続けてきた。
やるべきことはやってきた。
止まる暇もなく、日々を回してきた。

それでも年が変わった瞬間、
ふと残るものがあります。

「終わった感じがしない」
「やり切った感覚がない」
「何かが置き去りのままになっている」

この未消化感は、
失敗や怠慢から生まれるものではありません。

むしろ逆で、
止まれなかったことから生まれます。

母の役割は、途中で区切れません。
「ここまでで一旦終わり」という合図もありません。

家事も、子育ても、
人の都合に合わせる役割も、

終わらないまま、次へ次へと引き継がれていく。

その結果、
母の中には「片付いていない感覚」だけが溜まっていきます。

・やろうと思っていたけれど、後回しにしたこと
・本当は見直したかったけれど、触れられなかったこと
・向き合う余裕がなかったまま、流れていった違和感

それらは忘れたわけではなく、
処理されないまま積み上がっている。

そして年が変わるとき、
それらが一気に表に浮かび上がります。

「今年こそは」という言葉の正体は、
未来への期待ではありません。

過去に残ったままの感覚を、なんとか回収したい衝動です。


ここで母は、
自分に対してある違和感を持ち始めます。

「私は、ちゃんと止まれていただろうか」
「自分のことを振り返る余裕はあっただろうか」

多くの場合、その答えは否定になります。

止まれなかった。
振り返れなかった。
感じ切る前に、次の役割が来てしまった。

その結果、
母の中には“未完了の自分”が残ります。

この未完了感は、
言葉にしにくく、扱いづらい。

だから母は、それを
「立て直す」「軌道修正する」という言葉に置き換えます。


何をどうするのかは分からないけれど、
とにかく今のままではいけない気がする。

それが、立て直し衝動です。

それは意欲ではありません。
成長欲求でもありません。

止まれなかった自分への違和感が、
形を変えて表に出てきているだけです。

この感覚を抱えたまま、
母は次の段階へ進んでいきます。

この衝動は、
やがて「どこか」に向かわざるを得なくなる。


次章では、
この“回収できなかった感覚”が、
なぜ子どもの領域へと向かいやすいのかを見ていきます。



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このテーマは、
1本だけでも「今いちばん知りたい部分」を理解できるように書いています。

ただし、
3本を通して読むことで初めて見える全体像もあります。

・「今年こそは」と思ってしまう衝動
・気づかないうちに越えてしまう境界
・止まるしかなくなった心身の反応

それらが、すべて同じ地点から起きていたこと。
その構造を、最初から最後まで一本の線として追えるのが、
この3本をまとめたマガジンです。

https://note.com/hapihapi7/m/m0ca6701d1483