夏の北海道から秋の北東北を旅してきた

 142日間の記録です
 
  もう2年近くも前のことになってて驚きです
 
 
 
 
 
 
122/142日目(その4)
 
 
 
 
 
 
 
大阪を出発して122日め
原付を積んだ軽バンで
離島を含め北海道全域を周り
74日目からは本州北東北を走って
120日目からは帰路の寄り道旅です






山形県から宮城県に入って、メジャースポット松島を通り抜けて石ノ森萬画館、いしのまきマンガロードとお気楽な観光をした後を見学したあとにやって来たのはお気楽でいられないヘヴィなスポットです。



  震災遺構 大川小学校





釜石の奇跡と呼ばれた、釜石のほとんどの小中学校で犠牲者を出さなかった避難訓練の成果と対照的に、児童74名職員10名の犠牲者を出した大川小学校の遺構です。





2011年以前の津波でも、このエリアに津波が来たことはないとのことでこの小学校は近隣エリアの避難場所として指定されていたそうです。






すぐ前の伝承館で先に勉強します。





before after です。






地震発生から津波到着まで51分もあったのに多くの犠牲者が出てしまった、その時系列です。





おしゃれな低学年教室で、津波直後はまだ壁が残っていたのですが、その後の捜索などで壁を取り払っています。






放課後だったので先に帰った子、迎えに来た保護者に引き渡された子もいましたが校内にいた78名の児童が校庭に並び点呼を受けていました。





そして津波が来る直前まで校庭にとどまっていました。
そもそも学校が避難場所指定だし、どこに避難するか確立されていなかったので、先生たちの意見がまとまらなかったからです。





すぐそばには子どもたちがシイタケ栽培学習などをしていたりのなじみの山があって、1分でそこに逃げられたのに、です。





もちろん理由は色々あるんです。
当日は校長不在とか、山はまだ雪があって滑りやすくて怪我する可能性があるとか、避難場所であることで逃げてきた老人には登れないとか、いろいろ。





いろいろあって誰がどう悪いということもないようですが、事実として1分で逃げられる場所がありながら児童74名、職員10名が犠牲になったということです。





山に逃げようと涙ながらに訴える子や、実際に逃げようとして引き戻された子どももいたようです。





そりゃー行政を相手取って裁判にもなりますわね。





避難訓練実施の報告をしていながら実は未実施とか、事後の生存者聞き取り調査の記録に不備があり責任回避・隠蔽が感じられたりして(それが理由じゃないでしょうが)最高裁への上告が棄却されて原告側勝訴となっています。







続きます。