夏の北海道から秋の北東北を旅してきた

 142日間の記録です
 
  もう1年半以上も前のことになってて驚きです
 
 
 
 
 
 
114/142日目(その3)
 
 
 
 
 
 
 
大阪を出発して114日め
原付を積んだ軽バンで
離島を含め北海道全域を走って
74日目から本州北東北に入り
青森秋田ときて今は岩手を徘徊中








  田野畑村民俗資料館





入館料は310円(現金、推測)です。






2回の、三閉伊一揆 についての資料が充実しています。






盛岡藩(南部藩)の悪政に起因する一揆です。

新税、増税、約束破りなどを繰り返す藩政に対して、強力なリーダーを軸に民衆が政治的戦術的に組織だてて民衆の要求を通した日本最大の百姓一揆です。

小◯、こまる、困るの幟です。






要求してます。

新税増税臨時税、無茶言わずに今まで通りの税にしてくれといったところから政治の改革まで要求している感じです。





彌五郎殿というのが名を色々変えながら各地を回り一揆を説き組織づくっていった佐々木弥五兵衛でカムフラージュの暗号名簿なのだそう。

そんなふうに解説にあったんじゃないかと思ってたんだけど、それは古い通説で、ブログ公開前にAIに確認するとこれは本物の津島講の札で名簿ではなく、それを信じる者の集会をしているというテイでカムフラージュとゆーのが近年(2013年以降)の通説だそうです。

すでに当時の記憶も展示の解説も確たる記憶がなく、もしかしたら別の解説が書かれていたのかもしれませんしAIのウソかもしれませんし、結局のところまた行かないとわからないです。


それはともかく最初の一揆で勝利しましたがその結果は完全ではなく、すぐにまた一揆の準備をしていたんですが最初の約束は結局反故にされ最終的に弥五兵衛は捕らえられ処刑されたらしいです。


その反省もあって6年後畠山太助を中心に2回目の一揆で、首謀者などが処罰されることはないという約束を勝ち取り、そしてそれが記された安堵状です。





まるで義経の八艘跳びのように、暴れています。





最初の一揆の反省点などを盛り込み、2度目は悪政の盛岡藩との間に仙台藩を巻き込んだり、参加者が死んだ場合の村で遺された子孫を養育する仕組みとかも組み込んだり、5ヶ月の交渉の末一定の成果を上げたようです。






スタッフのお姉さんが誘ってくれて一揆のミニシアタームービーも見せてくれました。






一揆のほか、縄文の展示も力が入っています。






特に遮光器土偶は亀ヶ岡を始め他のものと雰囲気が結構違います。

顔もシュッとしてますがウエストがだいぶくびれてるし胸もボインボインのナイスバディです。





















満足して退館したら外には首謀者の弥五兵衛と太助がいました。






石板には三閉伊一揆を上手にわかりやすくまとめて書かれていましたよ。








続きます。