夏の北海道から秋の北東北を旅してきた

 142日間の記録です
 
  もう1年以上も前のことになってて驚きです
 
 
 
 
 
 
107/142日目(その2)
 
 
 
 
 
 
 
大阪を出発して106日め
原付を積んだ軽バンで
離島を含め北海道全域を走って
74日目から本州北東北に入り
青森秋田ときて今は岩手太平洋岸を徘徊中







震災遺構の気仙中学校を見学しました。

お昼時なので学校の駐車場で弁当にします。
大変なことのあった現場ですが、生徒がみんな避難できているので安心して食べられますね。




昨日買ってたハンバーグ弁当(割引383円)です。









お昼が済んだら車で5分ほどの、津波が川を逆流した気仙川の向こう岸に行きます。






  高田松原津波復興祈念公園






向こう岸には東日本大震災の犠牲者の追悼と復興を祈念する公園があります。






くっそ広いです。
このクッソ広い空間を津波が全て押し流したのかと思うと心が震えます。

海側は何もない感じですが、山側(しばらくはまだ平坦)も、まだまだなんにもありません。





中核施設として、右手に道の駅、左手に津波伝承館があります。






まずは左手の施設、正式には東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMIメモリアルを見学します。
入館料は無料です。






ほぼボランティアともいえる消防団の初期の活躍や犠牲などがありました。



交通、通信が途絶えるなか電波法違反で処分を覚悟のうえで漁業通信を使っての現状報告や救援依頼があったり。


命を救う緊急車両を通すために危険を顧みずの現場建設作業員たちの道路啓開作業があったり。




地震発生直後から手続き簡略のヘリコプター発進をさせた現場職員たちのマニュアルを超えた臨機応変の行動が大変な効力を発し、のちのマニュアル作成にも大きく影響を与えました。

上の許可がなかったり正規の手続きを無視することは、まかり間違えばなにやら制裁処分の対象にもなるのでしょうが。

















内陸部を南北に走る国道4号から、櫛の歯のように12本の道路を太平洋に向けて拓く、復旧に向けての向けてのいわゆる道路啓開櫛の歯作戦の説明もありました。

パクリ画像




寸断された道路の瓦礫を退けて道を開いていきますが、瓦礫の中に人がいるので、重機で一気に切り開くことはできず作業は難航するのです。







伝承館に来るまでは、海を見せない巨大な防潮堤に悪態をついたり、だだっ広い更地に違和感を覚えながら走ってきました。


マイヤっていうローカルスーパーの看板を見て、マイヤヒー、マイヤフー、マイヤホー、マイヤハッハー♫
呑気に歌いながら走ってました。



まさに津波に取り残され屋上に避難の人たちがいるマイヤの映像を伝承館のシアターで見て、いろいろな人たちの初動期のパネルを見て、復旧期の道路啓開くしの歯作戦の展示を見て、ここまでのお気楽車中泊ドライブとは違う気持ちになりました。






続きます。