武家屋敷安間家資料館
安間家住宅は篠山藩主青山氏の家臣の住宅で、安間家は禄高12石3人扶持で篠山藩士の標準的な徒士の住宅です。
茅葺きの母屋は正面を東に向け、間口6間、奥行き7間半で逆L字形となっています。正面左手に玄関を置き、右に6畳の次の間、その右手に庭に面して8畳の座敷となります。玄関奥には土間が続き、その右手が台所。座敷の奥に仏間、居間が続いています。
建築当初の姿をよく残し、平成6年、町指定文化財となり全面改修をして資料館として開館、安間家に伝わる古文書や家具、食器類の他、武具や史料などを展示しています。
安間家見取り図
安間家
武家屋敷と言っても農家風の建物です。
安間家内部
仏間から座敷を見たところです。
安間家座敷
雛人形などが展示されていました。
後ろから見た安間家
こうしてみると岩手県の南部曲屋のように見えます。
御徒町武家屋敷
慶長14年(1609年)に篠山城が完成し、翌年から城下町の町割りが始まりました。篠山城の西側に南北に通りを開き、両側に徒士(かち)を住まわしたことが御徒町(おかちまち)の始まりです。この時各家に割り当てられた間口は平均8間だったと言われています。その後、天保元年(1830年)に火災でこの辺りの建物のほとんどが焼失しました。そこで約6尺(1.8メートル)後退させ屋敷を再興させ、広がった通りは火除け地としての役割も持ちました。
明治維新を迎えても御徒町の武家の多くは篠山にとどまり、家屋敷の手入れを怠らなかったので、往時の武家屋敷の面影を今に残すことが出来ました。この通りを御徒町通り(西新町)と呼びました。御徒町武家屋敷群は篠山城東側の河原町妻入商家群と共に、平成16年に伝統的建造物群保存地区に選定されました。
御徒町武家屋敷
御徒町武家屋敷
どの武家屋敷も、門も母屋も茅葺きで農家風になっています。
服部家長屋門
御徒町通りの一本東にある、外堀に面した通りにある服部家の長屋門です。茅葺き屋根の重厚な造りとなっています。
鳳鳴酒造
鳳鳴酒造製品
篠山の町中にある酒蔵です。鳳鳴酒造は寛政9年(1797年)創業という、220年近く続いてきた老舗酒蔵です。酒を買ったついでに内部を見せてもらいました。
篠山は灘の酒造りを支えた丹波杜氏を輩出してきた土地です。江戸時代中期の寛政頃、灘の杜氏は賃金が高騰したり、近江や紀伊など他地域に出稼ぎに行くようになり、代わりに丹波杜氏が重用されるようになりました。丹波の農民にとり酒造りは農閑期の重要な収入源になりました。
鳳鳴酒造内部
昔の酒造りに使われていた桶や酒壺が展示されていました。
タンク
今はホーロー製のタンクが使われています。
酒絞り器
発酵が終わり熟成した醪を袋に詰めて並べ、上から圧力をかけ圧搾し、酒と酒粕に分離する装置です。形が船の平底に似ていることから槽(ふね)と呼ばれています。
麹室
酒の元となる麹を造る部家です。麹室は真冬でも温度は30度、湿度は60パーセント以下に保たれます。部屋には窓がなく、天井も低い部屋で、蔵人達は裸になり約50時間かけて麹を造りました。その作業を製麴(せいきく)と言います。