「自分磨き」ばかりでは自分を見失う
スキルアップというと、多くの人は社会や職場で必要とされている技術や能力ばかりを伸ばしたり磨こうとするものです。
たしかに時代の流れについていくことも大切です。
でも、社会のすう勢や時代の要求に自身を合わせてばかりいると、本来の自分を置き忘れてしまいます。
人にはそれぞれ向き不向きや、もって生まれた資質があります。それを輝かせることこそが「自分磨き」ではないでしょうか。
周囲に気を遣ってばかりでは、いつまでたっても自分らしく生きられません。
桂離宮 どこを眺めても美しい日本庭園の最高峰
桂離宮の由来
桂離宮は修学院離宮を造営した後水尾上皇(ごみずのおうじょうこう)の叔父にあたる八条宮智仁親王(はちじょうのみやともひとしんのう)によって造営。後陽成天皇(ごようぜい)の弟でもある。江戸初期(1615年頃)に造営開始して、1622年に現在の姿となり、建築当時の建物が今も現存する貴重な庭園である。明治16年に宮内庁所管となり桂離宮と称される。
「住吉の松」は、視界を遮るかのように松があることにより、「衝立の松(ついたてのまつ)」とも呼ばれる。見えそうで見えない、苑路散策に期待感を持たせる演出である。
桂離宮の大きな魅力のひとつは延べ段にある。御幸道と呼ばれる苑路でると、ここで注目したいのが「霰こぼし(あられこぼし)」という手法の延段(敷石)。平らな面を路面になるように敷き詰められている。香川の興願寺にある「霰こぼし」は50cm四方並べるのに職人1人が1日がかりと、実に大変な労力であることが分かる。また広大な敷地で落葉時期でも宮内庁によって実に綺麗に手入れ施されていることにも驚く。
「松琴亭」で茶会が催される際の待合になる外腰掛けには「行の延段」がある。これは自然石と切石がミックスしたもので、切石だけのものを「真の延段」、自然石だけのものを「草の延段」という。これは書道の「草書」「行書」「楷書(親書)」に習うものである。これを習うと「霰こぼし」は「草の延段」に分類される。
桂離宮で最も美しいと感じるのが、この岬灯籠付近である。水際を美しく魅せる技法の州浜の先には、可愛らしい岬灯籠を据えている。その奥には、切石の反り橋「蛍橋」、中島、「月見橋」と並び、その一連を「天橋立」見立てている。
天橋立に見立てた一部の中島。反り橋「蛍橋」の橋添石には意欲的な立石を据えることで景観を引き締めている。
この付近には美しい灯籠のひとつである織部灯籠がある。千利休と共に江戸時代に茶の湯で大成した古田綾部が考案した灯籠である。この綾部灯籠は切支丹灯籠(キリシタン灯籠)とも呼ばれ、竿にキリスト像が彫られているのが特徴である。これは江戸時代初期のキリスト教禁止令後も、密かに信仰を続けていた隠れキリシタンの信仰物だった。
織部灯籠の反対側の景。力強い護岸石組で渓谷のような構成である。ここだけでもひとつの庭園として成立している。このように、桂離宮はどの方向を眺めても素晴らしいというのも大きな特徴だろう。
桂離宮で最も格の高いとされる茶室「松琴亭(しょうきんてい)」付近からの景観。
天橋立に見立てた中島を反対側から眺めると、前半の写真では死角になっていた平橋「月見橋」が姿を魅せる。
桂離宮で一番高い場所にある「賞花亭(しょうかてい)」から石段を下りると、180度見渡せるポイントがある。「ここでは一人5秒の撮影タイムを設けます(笑)」と言われます。写真は神仙島と呼ばれる中島を望む。神仙島とは、不老不死の仙人が住む島とされる。
茶室「笑意軒(しょういけん)」の麓には、船着き場の照明用の「三光灯籠(さんこうとうろう)」がある。つまり昔は、舟で庭園を巡る池泉舟遊式庭園であったことがわかる。三光灯籠とは太陽と月と星という三つの光りを意匠化している。とても目立たなく小さい灯籠であるが、他では見られない貴重な灯籠である。
日本一美しい雪見灯篭と解説員が解説している。
最後は書院玄関前の「真の延段」。重森千靑氏によると、「私が感動させられるのは、飛石と門の間に設けられた四個の正方形の石である。この切石を挟むことで、真の飛石は、左斜めに大きくふれている。しかも四個の切石は、わずかに間隔を置いて据えることで狭い玄関前の敷地に遠近感がもたらされる」と解説している。そういえば、桂離宮では御幸門などでも遠近法を浸かって奥行き生み出しているポイントがあった。大名庭園のような広大な敷地をもつ庭園がは、単調になりがちであるが故に、細やかな工夫がされていることを感じます。