「虎に翼」に消化試合は無い「尊属を考える」 | 半世紀ちょい生きてきた

半世紀ちょい生きてきた

誹謗中傷は精神衛生に悪いのでご勘弁を。
「自分の気持ちに正直に」をモットーに、思いついたこと、好きなこと、子どものこと、病気のこと、これまでの人生についてなど、硬軟織り交ぜて徒然と書いています。



「虎に翼」に「尊属殺人重罰規定裁判」がブッ込まれた。
ラスト3週になっても、消化試合をする気は無いらしい。



実は、昔住んでいた借家の隣の家が、まさに「そういう」家だった。

父親と、実の娘が2人。
そして、父親が長女に産ませた幼子が2人。
幼子には奇形があったと言われ、その家から子どもの声が聞こえることは無かった。


近所の人はみんなそんな事情を知っていたけど、2人の娘はとても明るく挨拶をする子らで、
「大丈夫?」と聞いても、「何のことですかぁ?うちはみんな元気ですよ」とかわされる。
だから、通報するとか、役所や施設が動く事もなかった。




山田轟法律事務所に身を寄せている美位子も感じの良い娘だ。

心にバリアを張り作り笑顔をすることが、日常のことになっているんだろうか。




私たちは、親の離婚後にそこに引っ越したんだけど、
母親が「子ども(私の弟たち)の環境に良く無い」と思ったらしく、
じきに引っ越したので、その後のことは知らない。


その家の次女は私と同じ年だった。でも私もやっぱり聞けなかった。
後に彼女が宝くじ売場で働いているのを見た。
声を掛けると明るく元気に季節の挨拶をしてくれた。
でも、次に行ったら辞めていた。


今でも時々、あの家のことを思い出す。
「なにかできることがあったのでは」と胸の奥が痛くなる。



とはいえ、いくら虐待を受けても、子どもはいつでも非力で
親に養ってもらわなければ生きていけない。

「言うことをきく」しか道はないのだ。




うちは性虐待こそ無かったが、
父親が仕事を勝手に辞めてきたり、お金を全部自分の好きに使う「経済的虐待」や、
言葉の虐待、家族の食べ物もひとりで食べ尽くす、呑んでからむ、
飼い犬を殴る蹴る、教育を受けさせようとしない、
嫌だと言っても勝手に私のタンスや引き出しを物色したり、
学校に持っていくお金を勝手にランドセルから持っていったり、
中学の頃には、明け方に私の布団に添い寝に来たり、
突然鋭利な鋏やキリを私の枕元で畳に突き刺すなどの嫌がらせを繰り返し受けた。

もちろん私だけでなく、母も弟も辛い目にあっていた。




今まで誰にも言ったことはないが、
父親が呑んだくれて千鳥足でトイレに起きたところを
廊下から土間に突き落とそうとしたことは、実は何度もある。

特に、14歳になる直前。ちょうど40年前の夏休みの終わり頃。
「今日こそやらなければ間に合わない」と焦っていた。


「母や弟のためにも私が決行しなくては」
「お父さんも実は苦しいのではないか?」
「私が引導を渡すことこそが孝行なのではないか?」
「反撃にあったら負けるから一気に。失敗は許されない」
などと真剣に考えていた。


私は毎晩、独りで計画を練り、気が熟すのを待った。
最小限のダメージ(補導)で、息の根をとめる完全犯罪の。



結局決行できずに14歳を迎え、それから40年を経て、そのおかげで現在の幸せがあるのだけど。



父は好き勝手に生きて、その結果身体を壊し、
それでも医師の指示も聞かず、好き勝手して若くして旅立ったけど、
私も見舞ったり、下の世話を含む看病もして自己満足しているし、
身罷ってしまえば、嫌な思い出がそれ以上増えることも無くなり、
生前の嫌なことの解釈も私次第なのだ。


「クソ親父エピソード」として、冗談混じりに夫や子どもに話して笑っている。

なにしろ身罷れば「仏サマ」なので、自然に手を合わせ、こうべを垂れる。

そして写真に向かって「おとうさん、アンタ良いご身分だねぇ」と独りごちて、
リンを思いっきり叩いては、また笑うのだ。

「ちーーーん!」








尊属殺人重罰規定が廃止されたのは平成7(1995)年。

私の父が病気で亡くなったのはその翌年のことである。