沢木耕太郎のさりげない書き方が好きだ。沢木に「短文の練習、ふたたび 最近の三冊と読書法」(『像が空を』に収録)というエッセイがある。読書の仕方として、行きあたりばったりの本を買い、行きあたりばったりの場所で読む。それも喫茶店で読むことが多いのだそうだ。

 ルポ作家の沢木は、人と会うことが仕事である。待ち合わせの場所として喫茶店が選ばれるから、早めにそこに出かけて、読みたい本を広げるのだ。

 そこでの沢木の一言に共感を覚えてしまう。「喫茶店の中の適度なざわめきが、本の世界に入っていくことを助けてくれる。その店に少しでもおいしいコーヒーがあれば、読書の時間としてこれ以上のものはない」と書いている。

 しかし、難点は読書に熱中するあまり、待ち合わせの相手が来ないでくればいいと思うことなのである。

 沢木のこのエッセイ集には「私」が頻繁に出てくる。学術論文のような上から目線がない。一人の人間として、何気ない言葉を発する。それが読み手の心に響くのである。沢木のような本を出したいと考えるときもあるが、それもまた才能なのではないだろうか。