会津はトタン屋根ばかりである。僕の子供の頃はまだまだ茅葺屋根が多かった。その上にトタンをかぶせていたのが始まりで、今では見渡す限りトタン屋根である。新潟県の魚沼郡あたりもそうだから、雪国の特徴なのだろうか。確かに雪下ろしをするのに便利ではある。それ以外の新潟県や、会津以外の福島県内は瓦屋根の家が多い。
 会津藩の江戸詰めの家老の子孫とされる辻潤は「トタン張りの屋根という奴は地震には安全かも知れないが夏はやり切れない。周囲の屋根がみんなトタン張りだ。トタンの苦しみと云うのはまったくあたっているなどとつまらぬ洒落を考えてひとり苦笑してみたりした」(大沢正道編の『虚無思想研究上』の収録された「にひる・にる・あどみらり」)と書いている。
 辻潤が会津に来たことがあるかどうかは分からないが、東北にもかかわらず、会津盆地の夏の暑さは耐えられない。しかし、そこで暮らしている人間は「トタンの苦しみ」を味わっているのに、それが普通だと思っているのだ。
 いうまでもなく辻潤は、アナーキストの大杉栄と一緒に権力に虐殺された、伊藤野枝を妻としたこともあった。放浪の生活をしながら、最終的には餓死してこの世を去った。昭和19年11月のことである。伊藤野枝との子供である長男の辻まことは詩人、画家、山岳家であったが、南会津の山々をこよなく愛していた。
 辻潤は正直な人間であった。偉そうなことを一言も口にしなかった。だからニヒリストと呼ばれたのである。僕が好きなのは「書物を読むことはヒマ潰しには一番いい、どんなエライ人間が書いた本だって、イヤになればその辺へオッポリ出してしまう。しかし本は文句も云わず、怒りもしない」(『同』)という一文である。
 本は裏切らないが人間はすぐ人間を袖にする。もともと僕は辻潤や大杉栄の徒であった。それが保守を名乗るようになったのは、辻潤の「これでも少しばかり自分の同胞や生まれた国のことを心配しているつもりだ」という言葉に、少しばかり心動かされたからなのである。本当の保守派というものは、田中美知太郎や葦津珍彦にしても、根っこの部分は辻潤と一緒なのであり、何よりも権力が巨大化することを恐れたからこそ、共産主義には与しなかったのである。