日本の防衛力の強化は急がなければならない。しかし、それが全てではないのである。最後の最後は、国民が団結して祖国を防衛する覚悟があるかどうかだ。徐々に自衛隊の装備は近代化されており、ようやく敵地攻撃能力も付与された。しかし、最終的には機械ではなく人間の問題なのである。

 かつて防衛研修所長であった佐伯喜一の「国防の最後の基本的な抵抗線は国民にあるということである。侵略に対してあくまで抵抗すると言った強い決意を持った国民が団結した場合にははじめて一国の防衛が達成される。最後に、そして真に国を守る力は、精鋭な武器でもなければ多数の軍隊でもない。国を守る真の力は、祖国愛に燃えた国民一人ひとりの心の結束である」(『日本の安全保障』)と書いていた。
 いうまでもなくそれは、ナポレオンのフランス占領下のプロセイン首都のベルリンで、1807年から12月13日から翌年3月20日までの毎日曜日、14回にわたって行われたフィヒテの『ドイツ国民に告げる』(梅根悟椎名萬吉訳)の考え方を踏襲したものであった。

 フィヒテは国民教育の大切さを説き「つぎの若い世代がこの教育を終了するやいなや、国家は軍隊などと言う特別なものをまったく必要としなくなるでありましょう。いな、新しい教育を終了した世代を国家の構成員にすることによって、国家はこれまでみたことのない、みごとな軍隊をもつことになりましょう」と断言した。

 そして、その理由としては「彼らは、われわれの新しい教育によって、一人ひとりがどんな使用にも耐えられるよう、完全に体力が訓練されているので、機にのぞんで即座に体力を発揮することができ、いかなる緊張や苦労にもへこたれるようなことがないからであります。また、彼らの精神は直接的(具体的)な直感教育によって陶冶されているので、つねに沈着で、自覚を忘れるようなことはありません。彼らの心情には、自分自身が一成員として属している全体に対する愛、すなわと国家と祖国に対する愛がいつも生き生きとしております。したがって、そこでは他のあらゆる利己的な衝動は完全に抑圧され、活動の余地はないのです」とも言い切る。

 だからこそ、フィヒテは「万一その必要がある場合にはいつでも、こっかたただちにこの祖国愛を動員し、この祖国愛に武器をとらせることができます。そうすれば、どんな敵であろうとも、この祖国愛を打ち破ることはできないでありましょう」と訴えたのである。

 悲しいかな我が国の戦後教育は、まったくそれとは相反するものであった。祖国が郷土が敵兵に攻め込まれ、罪もない人たちまでが犠牲になっても、武器を取って戦うことを嘲るようなことが教えられてきた。祖国のために命を捧げるという日本国民が圧倒的なのである。
 しかし、それでもなお私は日本国民を信じたい。愛する者たちの命が奪われ、日本が全体主義覇権国家の属国になるのを阻止するために、イデオロギーなどの違いを超えて、日本国民が一致結束することを。今私たちの問われているのは、まさしくそのことなのである。