国士は昔から群れたがらないのである。一人一党であってもいいのだ。淋しい浪人の心で国を憂うるのである。それでいいのだと思う。金も名誉とも無縁な者たちなのである。

 だからこそ、いざいというときに、命を投げ出すことができるのだ。そういう草莽の志士が日本中いたるところにおり、「いざ鎌倉」というときには必ずや決起するはずだ。

 金儲けに奔走するビジネス保守とは一線を画するのである。饒舌に語るのでもなく、世に注目されずにいる草莽の志士の横の連帯こそが、日本を救うのだと思う。

 国士の手本とされるのが渥美勝である。「フーテンの寅さん」の渥美清は、彼の人柄に共感をしてペンネームを付けたのではないだろうか。

 渥美勝は彦根藩士の子として明治九年に生まれた。第一高等学校から京都帝国大学法科に進学。哲学的に煩悶した末に大学を中退した。

 郷里に帰って中学の教師をしていたときに、たまたま「桃太郎」の唱歌を聴いて思想的に目覚め、下足番、土工をしながら、毎日のように上野公園や神田須田町で街頭演説をした。

 そのときの模様を橋川文三は「『桃太郎』と大書した旗のもと、日本神話にもとづく日本人の生命観、使命観を説き『真の維新を断行して、高天原を地上に建設せよ』と結ぶのが常であったという」(『昭和維新試論』)と書いている。

 北一輝や大川周明とも懇意になった。建国会を結成した赤尾敏を支援したこともあったが、昭和3年にこの世を去る直前まで、舌鋒鋭い講演活動を続けた。渥美勝の清廉潔白な魂の叫びを、引き継ぐ者こそが、真の意味での国士ではないだろうか。