なぜ岸田首相で駄目なのか。官僚出身ではないが、官僚に操られているからだ。これでは国民の声が届くわけがない。

 谷沢永一が『官僚もういいかげんにせんかい』において、マックス・ウェーバーの「官僚として倫理的にきわめてすぐれた人間は、政治家に向かない人間。とくに政治的な意味で無責任な人間であり、この政治的無責任という意味では道徳的に劣った政治家である」(『職業としての政治』)という言葉を引用し、官僚ではなく、政治家が指導力を発揮すべきことを主張した。

 今の日本は官僚政治そのものである。岸田首相は自分の言葉で国民に語りかけることもできない。次の首相とかマスコミが持ち上げている上川外相も、官僚の書いたものを、棒読みしているだけだ。

 LGBT法のときもそうであったし、旧統一協会の解散請求でも、パーティ券の不記載でも、岸田首相の存在感はゼロに近い。こんな政治が続いて言い訳はない。

 保守派のユーチューバーのなかには「岸田首相は安全保障などでよくやっている」と評価する人がいるが、それは買いかぶり過ぎである。官僚の意のままに動いている政治家に、国家観があるとは思えないからである。

 谷沢は「国家とは何か。国民が自主的に生活圏を防衛する意欲を持った集団を意味する。祖国の安全を保持する情熱に怠りを見せない同胞の連繋(れんけい)にほかならない。その居住する地域がいかに富み栄え、どれほど目下は安穏(あんのん)であろうとも、自らを守る情熱が弱まり欠如するならば、その成長発展の工程には進み得ないであろう。国家の存立は、精神の緊張によってのみ可能となる。国家の基幹は、寸刻も油断もしない厳粛な自戒と自粛に支えられていなければならない。その厳しい覚悟の持続を放擲(ほうてき)し、忘却しているのが、我が国である」(『官僚もういいかげんにせんかい』)とも書いていた。

 無責任な政治家である岸田首相が、このまま権力に居座ることは容認できない。官僚による独裁政治をストップさせるためにも、岸田首相には辞めてもらうしかないのである。