安酒を飲みながら田中吉六の『主体的唯物論の成立』を読む。建設現場で肉体労働をしながら初期マルクスを我が物にせんとした哲学者は、未だに僕の理想でもある。すでにマルクス主義は妖怪となって墓場から現れることもなくなり、誰もが震撼しなくなったが、人間主義イコール自然主義という考え方は、やさしい響きを失うことはない。

 僕は残された人生のなかで、田中ばかりではなく、アナーキストの秋山清、大沢正道、さらには、梯明秀、梅本克己、黒田寛一らの関するノートをまとめたいと思っている。外来の哲学を紹介するだけのアカデミズムとは違って、そこには悪戦苦闘した血と涙のドラマがあるからだ。

 田中は初期マルクスの到達点から何もかも説明しようとする。「『経済学・哲学草稿』において確立した労働過程論・実践論は、生産活動の論理を具体的に展開した『経済学批判序説』と史的唯物論を展開した『ドイツ・イデオロギー』に発展するとともに、そのうえに経済学批判という副題を持『資本論』がそびえたっているのである」と書いたのである。

 また、田中は「人間労働をかくのごとく非人間的に自己疎外する資本への憎悪は、そのまま人間労働の解放への、したがって全人類への解放の熱烈な情熱となり、共産主義的活動への参加となり、未来への確固たる見とおしをもつ人類愛となり、真のヒューマニズムをかたちづくるものとなった」と解釈した。

 しかし、疎外革命論は一時のはかない夢でしかなく、空想的共産主義の一つの例にとどまった。それでもなお田中の功績は大である。代々木のスターリン主義に対抗するために「人間」を重視したからである。マルクス主義の陣営が音をたてて崩れていく中で、自らの言葉で語ろうとした田中の哲学を経て、マルクス主義から決別することを、僕たちは自らに課さねばならないのだから。