会北史談会の定期総会が来る29日午前10時から喜多方市の喜多方プラザ二階の会議室で行われますが、そのときに私が「会津白虎隊の精神」と題して話をすることになっています。

 白虎隊の少年たちの死は、あまりにも壮絶なものでしたが、なぜ国に殉じたかというと、そこには山崎闇斎の朱子学、さらには藤樹学の影響があったからです。

 いうまでもなく、朱子学は天皇絶対であり、会津藩の家訓(かきん)における「大君」という言葉は、天皇を意味するという解釈もあります。幕府を第一と考える場合にしても、その上に天皇がおられるというのは、藩祖保科正之公以来の教えでありました。

 また、中江藤樹の高弟であった淵岡山(ふちこうざん)の教えを受けた藤樹学は、親への孝を絶対視しましたが、それが先祖の眼差しを意識するという考え方に結び付いたのでした。

 今我が国は未曽有の危機に直面しようとしています。それだけになおさら白虎隊士中二番隊の少年たちが、飯盛山で自刃する前に吟じた漢詩を思い起こさずにはいられません。

 

「零丁洋を過ぐ」文天祥

人生 古(いにしへ)より 誰か 死無からん,

丹心を留取して汗靑を照らさん。