今日も仕事がおわり、もう眠る時間になってきた。深夜にパソコンに向かうのは不健康なことではあるが、昼間の騒々しいい世界とは違って、神谷恵美子が言うように「日々一度は目先のことを投げ棄てて心身を憩わせ『永遠の相の下に』現実の生活を眺め直し自分の使命への洞察と力とを新たにする『礼拝』の静かなひととき」を味わっているような気がしてならない

 神谷の『旅の手帖より エッセイ集1』に収録された「バッハの音楽」の文章である。「富を得るためでもなく、名声を馳せるためでもなく、バッハはひたすら職務を果たすために、また神を讃美する心の溢れるままに、書き続けた」からこそ、清純な音が聞こえてくるのだとか。神谷のような感性の持ち主でなければ、バッハの音楽を珠玉の文で紡ぐことはできないだろう。とくに神谷が珍重するのはバッハの「平均立洋琴曲」である。

「バッハは私をたずさえて、あるいは人跡絶えた雪山の頂きへ、あるいは怒涛のさ中に屹立する巌の上へ、あるいは初春の牧場の流れのほとりに連れて行ってくれた。そうしてじっと心の耳を傾けていると、明るい可憐な曲には赤児の初のほほめみが目に浮かび、荘重な、深刻な曲には良心の苦悩や、それから救われて流す涙のきらめきを見、また悲哀を帯びた短調で歌われた曲がついに晴ればれしい長調のコードの一つに昂揚して終るときには、あたかも数奇な運命にもてそばれながら、いつも魂の自由と清純さとを守り続けた人が、最後にあらゆる涙と悩みを克服して高い平和と歓喜に飛躍する姿をながめるように覚えるのであった」

 長々と引用してしまったが、キーボードで指を動かすと同時に、音楽に僕の耳が釘付けになるのが、寝る前のささやかな喜びの瞬間なのである。