小室直樹の師であった市村真一の『歴史の流れのなかに―私観・日本経済と教育』を読んでいて、最先端の数理経済学者でありながら、その一方で優れた教育者であったことが分かる。
「人遠慮なければ、必ず近憂あり」(『論語』衛霊公篇)、「子を代えて教う」(『孟子』)、「父教え、師厳しくして、学問のなることなきは、子の罪なり」(司馬温公)、「鄭声(ていせい)の雅楽の乱れるをにくむ」(『論語』陽貨篇)、「博学、要を失する、これを雑学という。雑学はもって学となさず」(吉田松陰)、「人の徳慧術知ある者は、つねに疢疾(ちんしつ)に存す」(孟子)などの言葉が目に飛び込んでくる。
「人遠慮なければ、必ず近憂あり」は、将来を見通して対処して置かないと大変なことになるからで、安全保障や教育の問題は、まさにその典型ではないだろうか。
「子を代えて教う」や「父教え、師厳しくして、学問のなることなきは、子の罪なり」は、教育はどうあるべきかを説いている。
「博学、要を失する、これを雑学という。雑学はもって学となさず」は物知りだけの人間を皮肉っている。行動力がともなわないからである。
「鄭声の雅楽の乱れるをにくむ」は卑俗な音楽が正統的な音楽を圧倒することに耐えられないということであり、口達者なものを批判している。
「人の徳慧術知ある者は、つねに疢疾(ちんしつ)に存す」は、苦難災厄に鍛えられてこそ、智略がわくということである。
いずれも含蓄のある言葉ではないだろうか。市村が小室の師であったように、市村もまた、平泉澄を師と仰いでいたことを忘れてはならないだろう。