私は今日の午後2時から喜多方市の熊倉公民館で「会津藩士山本覚馬」について話をしますが、とくに強調したいのは覚馬が会津藩における開明派の代表的な人物であったことです。

 覚馬が江戸木挽町の佐久間象山の塾で学んだことは、彼にとってかけがえのない経験となりました。そこでは、勝海舟や吉田松陰、坂本龍馬も学んでいたからです。

 いうまでもなく象山は、吉田松陰の密航をそそのかし、それに手を貸したとして、松代に蟄居を命じられ、その謹慎が解けた8年後に京都に出かけ、一橋慶喜や会津藩のブレーンとなり、開国の必要性を説いたことで、攘夷派の河上彦齋に暗殺されてしまいますが、そのときに現場に駆け付けたのは、覚馬であり、同じ会津藩士の広沢安任でした。

 なぜ覚馬が象山に心酔したかといえば、物の考え方が時代に先んじていたからです。難しくいえば、近代国家というのは「国家理性の打算が行動の基準である」(『忠誠と反逆 転形期日本の精神史的位相』)ということです。

 象山は単純な攘夷論者と天と地の違いがありました。そうした象山像を世に知らしめたのが、丸山眞男の「幕末における視座の変革ー佐久間象山の場合」でした。1964年10月に「信濃教育会」が象山没後100年を記念して、松代町の講演会を開催し、そこに丸山眞男が呼ばれたのでした。

 西洋諸国はどん欲だとかいう偏見でみるのではなく、徹底的なリアリストでした。ですから、それまでの鎖国政策を批判したのではなく、時代が変わったのだから、それに即して開国に踏み切ることを主張したのです。そして相手は「国家理性」として国益を最優先にして要求してくるわけだから、その点を念頭に入れて交渉すべきだというのです。利害の一致点を探しつつ、国家としての独立を維持するにはどうすればいいか、その大切さを象山は見抜いていたのです。

 これは現在の日本を考える上にも重要です。外国が我が国を攻撃してくるかどうかは、まさしく「国家理性」によって判断されるのです。その観点からすれば、日本が防衛力を強化し、国論がまとまれば、デメリットの方が多いから手を出してこないはずです。感情論で判断すべきではないことを、リベラル派の丸山が言っているのです。東アジアの安全保障環境が危機を迎えているわけですから、我が国も国家として身構えるのは当然のことなのです。