吉本隆明さんが亡くなってからもう11年目を迎えようとしている。会ったこともない人をつかまえて、あえて「吉本さん」と言いたくなるのは、吉本隆明という思想家を抜きには、私の青春を語ることはできないからだ。

 会津若松市役所に勤務していた川上春雄氏が、吉本さんの米沢高等工業時代の資料を発掘し、細部にわたる年譜を手がけた。川上氏から吉本さんの話を聞いていたことと、それ以上に著書のほとんどを購入するなど、私もまた吉本ファンの一人であった。どれだけ理解できたかというと心もとないが、不思議な言い回しと文体に魅了されたのだった。

 娘のハルノ宵子さんの『隆明だもの』は、私なりの吉本隆明像を再確認することになった。昨年12月に初版が出て、私が手にしたのは3刷である。若い人ではなく、私のように影響を受けた高齢者が読んでいるのだろう。

 とくに印象に残ったのは「小さく稼ぐ」の章であった。「ものすご~く誤解されている方が多いと思うが、モノ書きはおしなべてビンボーだ」という言葉は真実味があった。作家という肩書は、本来は貧乏人と相場が決まっている。ベストセラー作家などというのは、箸にも棒にもかからない連中なのであ。ハルノさんは、吉本家の台所事情を正直に書いている。

「ことに父のように、エンタティメントやハウツー本と違い、読者層が限られる分野だと、まず初版は6000部程度だ。仮に一冊2000円の本で印税が10%として、とりあえず120万円が入る。しかし、あれだけのエネルギー値が込められた本だ。どう頑張っても、新刊は、年に2、3冊が限度だろう。その間増刷があったり、以前の著書が文庫化されても、基本年収は数百万円だ」

 物書きがベンツを乗り回すことなど、夢のまた夢なのである。吉本さんのような人にしてすらそうなのである。献本分の自著やら贈呈本を整理して「神保町の老舗書店のおやじ様」に買っていただいて、それで生活費にあてたこともあった。逆に私たちは、そんな人だからこそ、信頼に値すると思ったのである。

 ハルノさんは「あとがき」において「イャ~‥ヒドイ娘ですね。吉本主義者の方々の、幻想粉砕してますね」と書いておられるが、それは心配のし過ぎだ。おしめをして、ボケたことを口にしたとしても、87歳まで生きたのだから、それだけで立派である。

 亡くなる4、5ヶ月前に、吉本さんが夕方家を飛び出そうとして、玄関で転んだというシーンを想像して、なぜか涙がこぼれてならなかった。野垂れ死にするつもりだったようだが、吉本さんでもそうなわけだから、老いに逆らうことはできないのである。