私たちが実際に見聞きする出来事は限られているから、マスコミを通じてとか、ネットとかで色々と情報を集めることになる。

 しかし、それを丸呑みすることは危険ではないだろうか。マスコミは画一的な報道になりがちだし、ネットは犬笛が問題になっている。煽ることを商売にしている点では一緒である。

 東北弁では「‥‥ということだ」を「‥‥だとサ」という。三隅治雄の『さすらいびとの芸能史』によると「そのドサが語源で、つまり、そんな地方弁の客を相手に芝居を打って歩く田舎周りの役者という意味で、ドサ回りといったという説がある」と書いている。

「ドサ回り」の語源というよりも「‥‥だとサ」という言い方に、私たちは学ぶべきではないだろうか。三隅は断言的な解釈をしているが、よくよく考えると、あくまでも間接的な情報ということで、頭から信じないで、距離を置いているように思えるからだ。芸そのものも虚構の面があるし、遠い世界で起きていることを伝えるた者たちの話を「‥‥だとサ」と聞いたのである。

 昔の東北の人のように、物事を冷静に判断すべきではないだろうか。そのためにも、ジャーナリストや識者を名乗る人たちは、あくまでも「‥‥だとサ」で生計を立てていると考えれば、腹を立てることもなく、振り回されることもなく、一つの意見として参考にすればいいのである。