レーニンは日露戦争において日本の肩を持った。しかし、スターリンは違っていた。林達夫がレーニンの『旅順陥落』に注目したのは「レーニンが進歩主義的な、進んだ日本と、反動的な遅れたロシアを対置して「見ようによれば一種の日本讃歌を奏でている」ことであった。

 いうまでもなくレーニン主義の「戦争を革命に転化」するためには、勝者としての日本が登場しなくてはならないのだ。林が引用する「新旧のブルジョア世界の戦争に化したこの植民地戦争をはじめたのは、ロシア人民ではなくして、ロシアの専制主義である。恥ずべき敗北を喫したのは、ロシア人民ではなくして、この専制主義である。旅順の幸福はツァーリズムのそれの序曲に外ならぬ」とのレーニンの言葉は、日本に声援を送っていたのである。

 しかし、スターリンはそうではなかった。林は「戦後まもなく私の入手した外国雑誌類の中に、スターリンが対日参戦ののち将兵に与えたメッセージの全文を見出してそこから甚大な衝撃を受けたという小事件、否、私にとっては大事件があったからである」と書いたのだった。レーニンとは真逆のことを語っていたからだ。こともあろうにスターリンは、満州に進駐した赤軍兵士に向って「その父兄がかつてそこでうけた国民的屈辱を雪いで仇をとったのだ」と理由で、赤軍将兵を祝福したからである。

 進歩的な文化人とは違って、林は「満州の工業施設のほとんど根こそぎ的な撤収、日本捕虜の仮借なき使役長期使役、—つづいて起こったそれらの一連の事象は、それがいかに立派な『革命的』大義名分にもとづくものであったにしても、頑迷固陋な私の如き『曲学阿世』の徒には、どうしても釈然とできないていのものであった」と本音を漏らしたのだった。

 これはまさしく、現在の中国共産党と習近平にもあてはまるのではないだろうか。ロシアの民衆を奮い立たせるためには、レーニンのような見方では通用せず、愛国心に訴えるしかないのを、リアリストのスターリンは知っていたのではないだろうか。林はロシアの民衆に関して「彼らはその精力的なマルクス・レーニン主義的啓蒙を以てしてもなかなか犯し難い帝政時代的庶民の風格を内々一面において持ちつづけていたといういうわけになる。正にっこれは一種の政治的後退である」と断じながら、愛すべきロシア民衆の素朴さを批評したのだった。

 スターリンと同じことを習金平はやろうとしている。プロレタリア階級にとっては国家は廃絶されるべき桎梏であるにもかかわらず、今の中国は領土的野心から台湾や日本を、自らの勢力圏に置こうとしているのだ。遅れた中国が進んだ台湾や日本に襲いかかろうとしているわけだから、レーニン主義であれば、中国の民衆は「革命に転化」するために決起しなくてはならないし、日本は中国を侵略を阻止することに最善を尽くさなくてはならない。いよいよ明日が台湾の総統選挙である。東アジアが大動乱になるどうかを占う意味でも、静かに結果を待つしかないのである。習近平はスターリンを手本にしているのであり、中国の民衆の愛国主義に火を付けて偉大なる中華帝国を目指しているのだ。