また今年も、小林秀雄の『本居宣長』を読む季節がやってきました。それが僕の十二月の過ごし方で、もう何度読んだか分かりませんが、その度に新しい発見があり、多くの示唆を得ることができました。

 大森の折口信夫宅を訪ね、駅まで送ってくれたときに、折口が不意に「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」と述べたという冒頭の文、さらには「雑誌から連載を依頼されてから、何處から手を附けたものか、そんな事ばかり考へて、一向手が付かずに過ごす日が長くつゞいた。或る朝、東京に出向く用事があつて、鎌倉の驛で電車を待ちながら、うらゝかな晩秋の日和を見てゐると、ふと松坂に行きたくなり、大船で電車を降りると、そのまゝ大阪行きの電車に乗つて了つた」というくだりから始まります。

 小林は二つあるという宣長の墓を訪ね、彼の遺言状を解読することから、糸口を見つけようとしたのでした。国学者としての宣長の思想を、大上段から語るのではなく、晩年に記された遺言状から解明するというのは、小林らしいアプローチであり、それだけでも僕は魅了されてしまいます。除夜の鐘が鳴るまでゆっくりと熟読したいと思っています。