ハマスによるイスラエル人虐殺は徐々に明らかになってきた。それは吐き気を起させる流血と恐怖のにおいである。そこまでやる神経が理解できない。

 ファシズムと戦うためにスペイン戦争(1936年から39年までスペインで発生した内戦)に従軍したシモーヌ・ヴェイユは、人を殺すということがあたりまえのことになってしまっている現実に、誠実に向き合ったことで知られている。

 そんな彼女の思いを田辺保は「どんな高遠な内容のものでも、何かのスローガンをかかげた行動がなされるとき、または、自分に対しても他人に対しても何かの『レッテル』をはりつけて、ある『公益』のためにたたかいが行われるとき、人間はすでに人間ではない、巨大な力に服しているのである。そのとき、個々の人間は無視される。力が、双方の人間を化石にし、一個の物体にかえてしまう。力というほとんど物理的な法則の外側では、もう動けないようになってしまうのである」(『シモーヌ・ヴェイユ その極限の愛の思想』)と書いている。

 国際義勇軍の一員であったヴェイユにとっては、ファシストは憎むべき敵ではあったが、彼らを平気で殺害する自分の同志に対しても嫌悪感を抱いたのである。

 彼女は一人の神父が処刑される現場に立ち会ったとき、その助命を嘆願して自分が銃殺されるべきかどうか、と思い迷ったのだった。

 ハマスのテロリストたちは「巨大な力に服し」てしまっているのだ。彼らは罰を受けることもないと高を括っているのだろうが、人間が人間であろうとするならば、その最後の一線で留まるべきだろう。いかなる歴史的な経過があろうとも、テロは黙認できない。罪もない人たちを血の海に沈めることは、断じて許されないからである。