ハマスによるイスラエルに対しての攻撃をめぐって、ネッ上ではハマス批判派と擁護派との間で激しい議論の応酬が繰り広げられている。双方の言い分は聞くに値するが、仕掛けた方により責任があるのは当然である。
しかし、こういった事態をカール・シュミットはすでに想定していた。それを考える上で大いに参考になるのが古賀敬太の『シュミット・ルネッサンス』である。
古賀によれば、シュミットは『大地のノモズ』で「戦争を限定し、戦争において敵として尊敬し、絶対化することなく、敵対関係を相対化する<正統な敵>と、犯罪者として処罰し、戦闘員と非戦闘員の区別なく壊滅する<犯罪者としての敵>とを区別した」と指摘している。
シュミットが問題にしたのは、主権国家を中心とする戦争を限定するシステムとしてのヨーロッパ公法の崩壊であった。いかに敵を抹殺する対象であっても、そこには限界があったにもかかわらず、第一次大戦以降に敵を犯罪者として見る傾向が強まったのである。
そこで登場したのが「絶対的な敵」という概念であった。古賀は「文明の敵、人類の敵、階級の敵、民族の敵という形で唱えられた正戦論と関係してくる。第二次大戦以前においては正戦や<絶対的な敵>概念がアングロサクソンの戦争概念と関係して取り上げられていたのに対して、『パルチザンの理論』においては、共産主義的な革命集団が批判の俎上に置かれている」と書いている。
その場合のパルチザンといっても、外国の征服者に対するパルチザンとレーニンに代表されるパルチザンとは区別された。いうまでもなく「敵の壊滅戦」を主張するのは後者であった。
そして、冷戦崩壊後の現在では、革命的な共産主義者グループにかわってイスラム原理主義者がテロリズムの担い手となったのである。イスラエルとハマスやヒズボラとの戦いは壊滅戦の様相を呈しており、どちらかが消滅するまで戦いは終わりそうがないのである。
しかも、古賀がシュミットの「現代のパルチザンは、自動小銃、手榴弾、プラスチック爆弾を使って、おそらくやがては戦術的核兵器を使って、闘うのである。現代のパルチザンは、機械化され、秘密通信機やレーダー網に結び付けられた」(『パルチザンの理論』新田邦夫訳)という文章を引用している。
国際的な内戦ということになれば、それまでの戦争の仕方そのものが根底から変わらざるを得ないのである。国際化が進行するということは、間違いなくその当事者になることを意味するわけであり、台湾有事にあたっても、非正規戦への対応を余儀なくされる状況も想定して置くべきなのである。
