池田信夫氏が「日本保守党は万世一系を語る皇国史観」とコメントしている。しかし、百田氏に批判的な人たちは「百田氏は、継体が行為を簒奪した」という説を主張しているというので、万世一系と矛盾することを指摘している。

 そもそも皇国史観という概念をどう捉えるかである。皇国史観を代表する平泉澄の考え方は、若井敏明の『平泉澄』によれば『神皇正統紀』と近世勤王家などの研究によって培われた。

 それが明確に述べられたのは、昭和3年11月16日に昭和天皇の御大典に際して、ラジオで放送された平泉の「国家護持の精神」であった。北畠親房と楠木正成の国家護持の奮闘が失敗に終ったとはいえ、それが幕末の吉田松陰らへと継承されたことの意義を説いたのである。

「考えてくれば実に無数の人々が、何等利益を求めず、名誉に目もくれないで、甘んじて国家の為に死んでいったのでありまして、其の数多くの捨て石の力によって、今日の我が国の隆盛となり、我が国の尊厳を見得るのであります。そしてその捨て石が、真によく国家を護持し来ったものである事が明らかになれば、捨石は決してただの捨石ではなく、国家を支持する有力なる一つの土台石であり、ぬきさしのならない一つの梃子であります」

 そして、平泉は「私は冥々のうちに今も我が国家を護持するこの無数の崇高なる霊魂を、我々の心に中によび起こしたいと願うのであります」との心情を吐露した。

 ともすれば平泉は、一般庶民よりも名のある人を顕彰したがると批判されるが、それは見当違いも甚だしい。野辺に朽ちた草莽の志士こそが、日本を守り抜いてきた力であり、そこに目を向けたのが平泉の皇国史観の根本であったからだ。あくまでも精神性のあるなしを問題にしたのである。

 平泉は国史を学ぶことで、日本人の根本に流れる精神を体得したのである。国破れてもその思いは変わらなかった。日本保守党が成功するかどうかは、真の意味での皇国史観を理解しているかどうかなのである。