今日の喜多方の最高気温は35度Cです。暑いのも寒いのも老いの身には応えますが、生きているだけでも儲けものと思って、やりたい仕事をしています。

 読書の秋ですから、これからしのぎやすい季節になれば、本を読むのも楽です。毎日何かしら書くにはインプットが欠かせません。読書量が増えるのは、僕が仕事をする上では好都合です。

 もう少しでドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』が読み終わります。若い頃から読んでいるドストエフスキーは、小説をあまり読まない僕であっても、色々な考える材料を得ることができました。

 劣等生のわりには、僕は一流の思想家の本にこだわります。到底登りつめることができない頂であっても、死ぬまで勉強の人生であるからです。

 僕がお勧めなのは法哲学の尾高朝雄、社会学・経済学の高田保馬、哲学では京都学派の西田幾多郎や田辺元です。その関係で高山岩男、高坂正顕、西谷啓治にも目を通します。

 ちょっと傾向は変わりますが、今喉から手が出るほど欲しいのが田中美知太郎全集です。山本夏彦がそうであったように、分かりやすく哲学を日本語で語ったのは、田中しかいないからです。20代に一度購入したのですが、貧しいので売ってしまった悔しい思い出があります。

 エッセイは川本三郎のファンです。親切に道案内をしてくれる文章だからです。村上春樹は僕と同時代人であることを実感します。書かれていることはよく分かります。しかし、それがどれだけ文学的に価値があるかどうかは、僕では判断できません。

 石原慎太郎、大江健三郎、江藤淳は、共通した戦後体験があるような気がしてなりません。大江の『沖縄ノート』などは本筋ではないと思います。

 今の若い作家やベストセラー作家にはほとんど興味がありません。唯一注目しているのは、ノーベル文学賞の候補者にも名前が挙る多和田葉子氏です。僕の畏友であった室井光広が彼女を高く評価しているからです。

 外国人では、もっぱらカール・シュミット、アントニオ・ネグリ、ハンナ・アレントらです。ローザ・ルクセンブルク、シモーヌ・ヴィユも再読しています。

 何一つ物にはできませんが、目が見えなくなるまで、活字中毒は治りそうもありません。あくまでも外国の本は翻訳に頼らざるを得ませんが、それでも僕は満足なのです。ささやかな書斎であろうとも、それで僕は今支えられているのですから。