グローバリズムというのは欧米の価値が全世界を覆うことであるが、繁栄の影には人間が背負いきれない闇の部分が付きまとう。第一次世界大戦後から西洋の没落が問題視され、今日ではなおさら深刻化している。
 明治維新から現在まで、欧米を目標にしてきた我が国が、それに毒されないためにも、自分たちのアイデンティティーを確認するというのは、日本民族としての当然のことなのである。
 これまでも我が国では、大東亜戦争以前から「近代の超克」が叫ばれ、世界史的な日本人の使命が論じられた。昭和35年からは昭和45年にかけては日本浪漫派の再評価や北一輝ブームなどがあったが、今回の日本への回帰は、日本が自立した国家に向かう第一歩になるような気がしてならない。
 そんな雰囲気が生まれつつある時だからこそなおさら、私たちが想起すべきは、昭和13年に萩原朔太郎が世に問うた「日本への回帰 我が独り歌へるうた」である。詩人の言葉には含蓄があり、今の私たちの思いを代弁しているからだ。
「少し以前まで、西洋は僕等にとつての故郷であつた。昔浦島の子がその魂の故郷を求めようとして、海の向うに龍宮をイメーヂしたやうに、僕等もまた海の向うに、西洋といふ蜃気楼をイメーヂした。だがその蜃気楼は、今日もはや僕等の幻想から消えてしまつた」と嘆くとともに、「僕等の蜃気楼は消えてしまつた。そこで浦島の子と同じやうに、この半世紀に亙る旅行の後で、一つの小さな玉手箱を土産として、僕等は今その「現実の故郷」に帰つて来た。そして蓋を開けた一瞬時に、忽然として祖国二千余年の昔にかへり、我れ人共に白髪の人と化したことに驚いてるのだ」と断じたのである。
 そして、日本人の眠っている国柄の大切さを「だがその蜃気楼が幻滅した今、僕等の住むべき処の家郷は、世界の隅々を探し廻つて、結局やはり祖国の日本より外にはない。しかもその家郷には幻滅した西洋の国が、その拙劣な模写の形で、汽車を走らし、電車を走らし、至る所に俗悪なビルヂングを建立して居るのである。僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏してゐるといふほど、疑ひのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失しては居ないのである」と主張したのである。
 それとて勇ましい国粋主義を鼓舞することではない。「よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を」奏でることであり、「祖先二千余年の歴史が脈搏」している日本という国柄を、私たちが取り戻すことなのである。