LGBT法が先月23日に公布され、即日施行された。理解増進法とはいいながら、すでに社会的な混乱が各所で起きている。国会で一応の決着をみたことは認めるが、それで終わりにしてはならないのである。
尾高朝雄は『法の窮極に在るものについての再論』において「民主主義は、事前においては何が正しいかを知り得ないとする態度ですすむが、事後において何が正しいかを結果によって知ることができると確信している」と書いている。
一度決まったものが絶対ではなく、それが現実の世界で試されることで、新たな評価を受けることになり、間違いを改めることが本来の民主主義なのである。
自民党の国会議員の多くは、LGBT法に賛成した自分を正当化するために、愚にも付かない弁解をしているが、そんなことはどうでもいいのである。
さらに、その本のなかで尾高は、ジョン・スチュアート・ミルの「人間の理性が信頼に値するのは、それが判断をあやまらないところにあるのではなく、言論の自由と結びついた経験によって、そのあやまりを訂正する力を持っている点にある」との言葉を引用し、「数によって行われる現実の政治を、正しいノモスの理念に従う『理の政治』に接近せしめるように不断に努力して行かなければならない」(『国民主権と天皇制』)と主張した。
LGBT法の場合は、国民の過半数以上の賛成を得たかどうかすら問題ではあるが、国会で通ってしまったこともあり、それによって何が惹起されるか直視しなくてはならない。
民主主義は絶対ではなく、試行錯誤を繰り返しながらも「理の政治」を目指すことで、活力を失わずにすむのである。
私たちが予想した通りに、LGBT法が国民の分断をもたらし、社会の秩序を損なうものであることがあきらかになりつつある。早急に改めるべきなのである。
