昨日は沖縄の慰霊の日であった。先の戦争での日本軍の組織的な抵抗が終わった日であり、毎年恒例の沖縄全戦没者追悼式が行われているが、日本民族の原型は沖縄にあるのではないだろうか。僕は一度しか沖縄を訪れていないが、東北人と共通する言葉の響きに魅了された。アクセントが似ているように思えてならなかったからだ。

 そのことを民俗学の分野で問題にしたのが、柳田国男であり、折口信夫であった。あくまでも漠然とした物言いではあるが、そこからは、忘れられた日本民族の過去が朧気(おぼろげ)ながら見えてくる。

 柳田は『海上の道』において「国の大昔の歴史と関係する古い幾つかの宮社が、いずれも海の滸(ほと)りに近く立って居るということを、稍々(やや)おろそかに考える風が久しく続いたが、日本が島国であり、海を渡って来た民族である限り、是はいつかは補強せられるべき弱点であって、それは先ず隠れたる海上の道というものゝ、次々と発見せられる日を期待しなけれなならない」と指摘した。

 折口もまた、昭和21年8月復刊の「時事新報」で、3回にわたって「沖縄を憶ふ」と題した文章を執筆しており、「我々と、島の兄弟とが、血と歴史において、こんなに親近な関係にあつたことを、本土と、島の全日本に、もつと早く学問の上から呑みこませて置かねばならなかつたのである。どうしても離れることの出来ぬ繋がりと、因縁とを、なぜはつきり告げて置かなかつたのかと言ふ後悔が、此頃頻りに私の心を噛む」と書いたのである。

 中国の台湾侵攻が目前に迫っているともいわれるが、私たち日本人が、同胞である沖縄の人たちを見捨てるようなことはあってはならない。断じて他国に奪われるようなことがあってはならない。柳田や折口の考え方に立脚すれば、島伝いに日本列島に渡って来た私たちの祖先の思いを、それは逆撫ですることであるからだ。

 日本民族にとっては、海の彼方に位置する妣(はは)が国が沖縄であり、折口のいう「『妣ハヽが国』は、われ/\の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであろう」(『妣が国へ・常世へ』)ということを想起すれば、沖縄を守りぬくことは、日本人の原郷を死守することにほかならないからである。