柳津町で出土した約五〇〇〇年前の縄文土器には一対の土偶が付いている。目、鼻、口の輪郭がはっきりしており、お互いに向かい合いっている。肩、背中、腕や指も浮かび上がっている。おぼろげな人の顔や姿を描きたかったのだろう。

 土器自体からも、日本特有の大地の胎動である火山のエネルギーが伝わってくる。

奥会津の沼沢火山の噴火は紀元前三四〇〇年頃で、それと無縁であるわけがない。

 人間が自己を自覚して生きるようになったのは、インドの釈迦、ギリシアの哲学者、イランのゾロアスター、旧訳聖書の思想、中国の諸子百家などが出現した紀元前五〇〇年頃からである。

 縄文時代の土偶の製作者が自覚的であるわけはない。この一対の土偶には、それ以前の人類のドラマが刻まれているのではないだろうか。

 竹倉史人の『土偶を読む』がベストセラーになっている。土偶の隠されてた面を暴いていくことは、それなりの説得力がある。

 トチノミをかたどっているという見方も的を射ている気がする。土偶に植物の精霊が宿るというのもその通りだろう。

 しかし、それ以上に一対の土偶という点にこだわりたい。お互いの眼差しを意識した、一対の人間同士を思い浮かべてしまうのである。

 小林達雄は「縄文デザインは、具体的な道具なのに使い易さに背馳する。容器デザインの普遍性、現代風に言えば機能的デザインとは対極にあることが判る。容器であれば、容器の機能を全うするに適った形態をちらなければならぬはずなのに、そうではなかった」(『縄文の思考』)と指摘している。

 そして、小林は「縄文デザインは、世界観を表現することを第一義とするのである」(『同』)とも書いている。

 人間が人間であることを自覚し、他者との関係で幻想が入り込む領域が生じ、自然との一体感が失われることへの怯えの叫びのように思えてならない。

 人類が誕生したのが約五〇〇万年前といわれる。縄文時代から現代までの時間などは微々たるものである。

永い微睡みの中から脱し、自分たちと他のグループを分けて考え、自分の存在にも目を向けつつあったのではないか。

それだけになおさら、人類の黎明期の貴重な芸術作品のように思えてならないのである。

 

 

参考 吉本隆明の「対幻想」