福田恆存には先見の明があった。昭和35年の時点で、福田は「テレビにはスウィッチがある」(『常識に還れ』)と喝破したのである。

 日本でテレビ放送が開始されたのは、昭和28年のことである。昭和35年のテレビの普及率は79%に達したとはいえ、まだまだ白黒であり、ようやくカレーテ放送が開始された頃である。

 そんなときに福田は「たしかに下らぬ番組が多すぎる。それなら、それなら見なければいいではないかと言うのが、私の意見である」と書いたのだ。

 福田に言わせれば、テレビに期待するのがそもそも間違っている。「これはいいと感心し、楽しめる番組は一週間に一本もあれば上出来ではないか。テレビとはその程度につきあうべきだ。高が大人の玩具ではないか」との見方を示した。「怠惰な受動的形式」であることを問題視したのである。

 日本人のテレビ好きは、先進諸国の中では、とりわけ際立ったいると言われる。だからこそ、未だにテレビの報道番組を見て、その考えに引きずられてしまう国民が、未だに多いのである。

 今回の小西文書などはその典型である。あんなものは、高市大臣が、当初から否定していたにもかかわらず、テレビが反高市一辺倒であった。それを信じたテレビ好きが多いのである。もはやスイッチではなく、ボタンが押す時代になってわけだから、ボタンを押せばいいのである。もちろん、最初からテレビがないのに越したことはないが。