日本という国家が他国に対して身構えることが困難になった場合に、私たちはどのように対処すべきだろうか。実際に我が国が有事に突入し、他国から一方的に攻撃されるような状況になったときには、カール・シュミットがいう「憲法制定権力」としての国家緊急権を発動するしかないのである。

 ルソーもまた『社会契約論』において「独裁制」について論じており、非常時においては「独裁官」の存在を容認している。それは明らかに法を超えた法としての「憲法制定権力」にほかならないのである。

「法のもつ硬直性は、それが事件のなりゆきに順応することを妨げ、ある場合には、法を有害なものにすることもあり、また国家が危機に陥ったときには、法によって国家の滅亡を招くこともありうる。秩序や手続きのてまは、ある程度時間的な余裕を必要とするが、時には事情がこの余裕を許さないことがある。立法者が予想しなかったような事情はいくらも生じるし、人はすべて予見できないと感得することこそ、欠くことのできない先見の命である。だから、政治制度を確固たるものとしようとして、制度のもたらす効果を停止する権限まで、取さってしまってはならない。スパルタでさえ、その法律を停止させてしまった」(中公ブックス)

 我が国は民主主義国家群に属し、自由や人権を重んじているが、それが根底から覆されるような事態においては、民主主義を守り抜くために、独裁的権限の集中も許されなくてはならないのである。

 あくまでもそれは期間が限定され、最終的には議会の場に持ち出されなくてはならないが、国家としての日本の存立が最優先なのである。

 本来であれば、総理大臣が指導力を発揮すべきであるが、あまりにも優柔不断であれば、それなりの力を使うのも仕方がない。戦争の危機が迫っているのは間違いない。平和ボケ、憲法ボケは愚の骨頂なのである。