日本の女性は封建の世において虐待されてきたのだろうか。ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田章雄訳)を読むと、そうでもなさそうである。

 フロイスはポルトガル人で、永禄6(1563)年に来日し、一時マカオの渡ったこともあったが、慶長2(1597)年長崎で没した。この間、織田信長や豊臣秀吉にも面会している。イエスズ会の日本での活動を記録するとともに、畿内を中心に、日本全国を回って見聞を広めた。そこでヨーロッパと日本との違いに注目したのである。

 私が面白かったのは「第二章 女性とその風貌、風習について」であった。そこに描かれている日本の女性は、あっけらかんとした天真爛漫な姿であり、控えというよりも、今の時代に近く思えたからだ。キリスト教的な厳しさはなく、男尊女卑とは無縁であったからだ。

「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の名誉と貴さは、貞操であり、その純潔さが犯されない貞淑さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる」

「ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く」

「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける」

「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」

「ヨーロッパでは妻は夫の挙か無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知られず、好きな所に行く自由をもっている」

 これらのことが書いてあるので、目から鱗という思いがした。戦国時代というのは、下剋上であったから、ある意味では民衆のエネルギーが爆発し、支配の構造が一変したこともあるのだろうが、それにしても、日本とヨーロッパの違いは明らかである。性に対して淡泊であるのは、今も変わらないのではないか。女性に権限と力があったというのは、母系社会の特徴でもある。

 明治になって、キリスト教的な信仰が入ってきて、ことさら階級社会が強まったという側面もあるのだろう。進歩史観で物事を判断すると、大事なものを見落としてしまいがちなのである。