敗戦の日から77年が経ったのに、未だに日本は戦後レジームから脱却できないでいる。アメリカに押し付けられた憲法ですら、変えることができないのだ。江藤淳は「民主化」という美辞麗句で隠蔽されてきた戦後の言論空間を暴いた。

「しかし、どんな民族も、他の民族の語り伝える物語を借用して、その枠の中で生きることを肯んじようとはしなかった。……いかなる民族も、滅亡し解体してしまった場合をのぞいて、他の民族の物語を自らの物語に替えようとはしなかった」(『落葉の掃き寄せー敗戦・占領・検閲・と文学』)

 日本人の言葉と物語を取り戻そうとした江藤の思いは、未だに実現していない。安倍元総理の国葬儀で、国民が分断したかのような印象操作をしたマスコミの多くは、戦後レジームを自分たちの拠り所としているのである。ネット言論がそれと対決しているが、まだ道半ばである。

 我が国の言葉は、今でも他国によって支配されているのだ。今年は日中国交回復50周年であるが、今から30年ほど前までは、左右を問わず「中共」や「支那」と呼んでいたのである。しかし、もはやそれは使われなくなり、誰もが「中国」というようになった。「大東亜戦争」が「太平洋戦争」のなっただけではなく、戦後レジームの呪縛が現在も続いているのだ。

 戊辰戦争で敗れたとはいえ、会津は薩長を「官軍」とはいわず、「西軍」といういい方を貫いてきた。自分たちの物語を頑なに守ったのである。日本はいつになったら自らの物語を語り始めるのか。長い歳月のせいで、もはや語る気力も失ってしまったのだろうか。