三島由紀夫対談集の『尚武のこころ』は今読み直しても面白い。昭和45年9月25日初版発行で、何と同年12月15日には七版が発行されている。発行もとが生長の家系の日本教文社であるところが興味深い。団塊の世代に圧倒的に読まれた本なのである。

 三島と対談した顔ぶれもまたすごい。「天に代わりて」で小汀利得、「サムライ」で中山正敏、「刺客と組長 男の盟約」で鶴田浩二、「大いなる過度期の論理」で高橋和巳、「守るべきものの価値」で石原慎太郎、「現代における右翼と左翼」で林房雄、「二・二六将校と全学連学生との断絶」で堤清二、「剣か花か」で村上一郎、「エロスは抵抗の拠点になり得るか」で寺山修司。右から左まで多彩である。当時は今と違って、思想的な違いを無視して、お互いに討論する雰囲気があったのだ。

 時事放談でお馴染みだった小汀に向かって、三島は「自衛隊はもっとイデオロギッシュな軍隊であることを、もっと周知徹底させないと…。それを世間でたたき、国会でたたき、ぼくにいわせると、イデオロギィ的な軍隊であるけれども、名誉の中心は天皇であるというところで、すこし極端ですが、そこまでいかなければだめだと思うんです」と主張した。

 鶴田ファンであった三島は、会うとすぐにすぐに鶴田と意気投合。三島は「今筋の取ったことをいえば、みんあ右翼といわれる。だいたい、右というのは、ヨーロッパの言葉では“正しい”という意味なんだから」と二人で笑ったのである。

 圧巻は肝胆相照らす仲の林との対談であった。「右翼が左翼に戦後取られたものは三つあるんですね。一つはナショナリズム、もう一つは反体制、もう一つは反資本主義、三つ取られたでしょう。右翼がみんな持ってたんですよ」と述べるとともに、大方の国民が自民党を支持してきたことについては、「いまの日本国民は決してばかじゃない。日本国民は自分が自主独立の国民でありたいという気持ちは一方に持ち、一方では、せっかく生活をここまで繁栄させてきたから楽したい、楽をするために安保条約もしょうがないじゃないかということがありますよね。これを両方引受けてくれるのは自民党しかない」という矛盾を指摘した。

 だからこそ三島は、戦後体制を破壊する側に自らを置いたのである。しかも、それを実行に移すには、言挙げとしての賢しらな理論などではなく、「いちばん根底には誠だと思います。誠があるかないかですよ」と言い切ったのである。三島が生きていた時代よりも、現在は混沌としている。私たちは、三島の発言に素直に耳を傾け、今後の日本について考えなくてはならないのである。