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 日本の極左の思想的劣化は手の施しようがない。れいわ新撰組という党名自体が、政治をおちょくったようなものだが、大石あきこ政策審議会長の発言を聞いていると、20世紀前半のプロパガンダそのものであった。「資本家の犬」という言葉が、まさしくそれを物語っている。この人は本当の意味でマルクスを読んではいないのだろう。ただ、弱い者の代表を自任して、威勢のいいことを言っているだけなのである。

 れいわの応援団として、未だに中核派がいるのは確かなようだ。その中核派に思想的バックボーンを提供したのが、梅本克己であった。梅本は「哲学とはいわば辺境の防人ということになるだろうか」(『現代思想入門』)と書いていた。「辺境とは虚無と人間との境」のことであり、「哲学はこの虚無に対して人間的な辺境をまもる。これが哲学にのこされた最後の役割である」と主張したのである。

 梅本にとっての主体性とは、政治に解消されない己の虚無を引受けることであった。今の中核派の諸君は、それを理解しているのだろうか。それよりも、梅本が中国に一定の理解を示したことを重視し、独裁全体主義国家中国に親近感を覚えているのだろうか。

 梅本は戦後の日本と西ドイツの経済復興に関して、「戦争によって延命した資本主義の一形態である」(『同』)としながらも、その認識の拠点を喪失させる事態があり得ることにも言及していた。

「そのときはマルクス主義は消滅したといってよい。そのときは、現代はマルクス主義が予測したとは全く別の形で自らの課題を解決したことになるが、むろんそれはマルクス主義にとってもよろこばしいことである」と謙遜に語っていたのである。

 ソビエトが崩壊し、中国が我が国を属国にしようとしている。マルクス主義の歴史的な実験は失敗したのである。今の日本の極左は、その現実を直視することなく、色あせたイデオロギーに振り回されているのである。

―写真は梅本克己—

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