書けない、向き合う事が苦しく、なぜ?今1人でここにいるのか?

日にちが経てば経つほど苦しさが増してくる。

息苦しく眠れない、何故生きているのか?





21日はひつじくんの65才のお誕生日、そして40回目の結婚記念日でした。
何年ぶりかにケーキを買ってお祝いしました。
でも、何故ひとりでいるんだろうと思ってしまいます。
彼は、苦しみや痛みから解放されて安らぎの中にいるのだからこれで良かったと納得しないといけない事はわかっているけれど、ひつじくんがいないこの世は本当に地獄だと感じる、彼がいないとこの世に生きる意味があるのだろうか?

彼は私の命そのものだから、私は何のために生きているのか?

この苦しみから抜け出す事は出来るのか?

それは永遠に来ない気がする。




ここからは闘病中のメモの記録を載せて行きます。


M病院から帰宅後すぐにN医大から21日にセカンドオピニオンをしますから来てくださいと電話があった。


とにかく手術をして貰いたい!それだけ、

N医大病院が駄目ならもう打つ手は無い!そう思い込んでいました。


毎日がどんよりした一日、大きく息をすっても息苦しい、ネットの情報や患者さんのブログを読みあさり、ただただ恐怖と心細さに潰れてしまいそうでした。


熱を測り、黄疸の確認が日課になった。


21日朝、N医大に向かうため不安いっぱいで新幹線に乗った。


ひつじくんがぽつりと、ネコは名古屋初めてやねー

これが、美味しい物いっぱい食べれる楽しい旅行やったらねーとごめんなーこんな事でと・・・

謝る事なんて無いのに、誰のせいでも無いのに、ひつじくんの優しさが辛かった。


かなり早く着いたので、病院のそばの公園で時間を潰す事にした。

二人で歩くこの道が永遠に続くと信じていた。



病院の待合室で頭の中をいろんな事がぐるぐるまわってた。

セカンドオピニオンを受けるが手術が出来ないと言われたらもうアウトだ、

例え手術をしても再発率が1030%、それが事実なら先は?余命は?

抗がん剤は使う?


効果がないのならこのまま行くとどうなるのか?

抗がん剤治療をして体力を奪い、ひつじくんの大切な時間を奪ってしまうのでは?


もし、残りの時間が決まっているなら、苦しい辛い思いはさせたくない。

1人になってしまうのは怖いけれど、それは自分の為、利己的な考えでしか無い。

ひつじくんの為に、本人に一番良い選択をしなくては!


待合室で待っているとドアが開き、老人と家族が出てきて、大きな声で、手術をするか、しないか本人が決めたら良いと言ってるよー

手術しても治らないって!と聞きたくない!

どこか違う場所で話してよ💢と苛立っていました。


そして名前を呼ばれ、診察室の中に入るとN医師が座っていました。


持参した診断書などを見て、手術をする前提で検査入院をしてもらいます。

年内か?年明けにでも手術を出来るように頑張りましょうという事で病院を後にしました。


帰りにひつじくんがコメダ珈琲に連れて行ってくれて、ほんのひと時の安らぎの時間でした。

この時は希望が見えてきて幸せだったなー


この頃、あるブロガーさんの投稿の中のこの言葉に励まされていました。

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。

あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。

主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。


1025日N医大に検査入院する事が決まった。

2週間検査後、上手くいけば12月迄に手術が出来れば良いのだけど・・・


1025日、次男に付き添いしてもらいこの時は車で名古屋まで行き、N医大に入院、病室は717号室で4人部屋、着替えや持参した物をセッティングしている間に検査が始まった。


入院中の説明を受けて、担当医から乳酸菌が良いらしく、何故か?N医大はヤクルトを推奨していて、飲むようにしてと指導があり、次男が沢山冷蔵庫に飲み物やヨーグルトと一緒に用意してくれた。


一日中検査があると言うので、心残りだったけど帰路につきました。


すぐに会いに来るからと言う私に手術の時はそばにいて欲しいから今回は我慢してと、毎日ラインと電話で状況を聞く毎日が始まりました。







昨日の投稿はひつじ君が確認し、ブログを再開する了解を得ていました。


しかし、書く事で傷つくのではないかと怖かったのです。

本当の気持ちを書く勇気が無かったからそのまま保存にしてました。

亡くなってから気がつけば8日経ってしまったのですね。

葬儀の後、死後の手続きの多さに驚きうろたえています。

幸い2人の息子がいるおかげで、オロオロするだけのわたしを息子夫婦が助けてくれています。


本当に助かってます。



わたしは、ひつじ君の会社に退職手続きと挨拶に行きました。

同僚の方に暖かいお言葉を頂き、ひつじ君が皆さんに愛されていた事を知る事が出来て嬉しかったです。

出棺の後、最後の出勤をさせてあげたくて、会社の前を霊柩車で通ると、職場の方々が一列に並んでお見送りをしてくださいました。


改めてこの人の妻で良かったと思いました。



目の前の祭壇には遺影用にひつじ君が決めた写真、何故か斜め目線😰後でわかったのですが、職場の人と呑み会の時の写真だそうです。

仕事が、会社が好きだった。きっと、この時幸せだったんだろうな〜


病気も辛さも無く、希望だけがあった日々だった。


葬儀場も遺影も残るわたしが困る事の無いお金も

しっかり準備して逝った。


祭壇のお骨を前にしても現実を受け止められずにいます。





次回からは闘病の記録を書いていきたいと思います。