40歳になって
3年経ちました。
この頃気付いたこと
【他人の愛情を試すことの愚かさ】
親の愛情を試す
パートナーの愛情を試す
子供の愛情を試す
友達の愛情を試す
などなど。
人の心は鉄のように固くもないし
岩のように頑丈でもない
試し続ければ
いずれ疲弊し
離れていく。
そして、離れていく人達を見ながら
「ほら、やっぱり私は愛されない」
と、寂しさを感じながら、孤独を感じながら
でも、そのネガティブにどこか安堵する自分がいる。
でも、そんな自分を見ないふりする。
キリスト教の中に
「神を試してはならない」という教えがあるけれど
それは、こういうことなのかな、と
この歳になって、なんとなく理解できたように感じる。
心を試すことは無駄なこと
愛情を試すことは愚かなこと
試しながら
自分が望む結果を手に入れようとする。
それは
「ほら、やっぱりね、私って誰からも愛されない」という結果。
つまり、本当に他人から愛されてる事が
証明されちゃったら、困るわけ。
愛されちゃう私だと、困っちゃうワケ。
だって、言い訳できなくなるから。
「私、誰からも愛されないの」って
いじけられなくなるから。
いじけられないと
構ってもらえる理由が無くなるから。
つまり、
愛情を試す行為は
「構って貰いたい」気持ちからやってくる。
小さな子供が
大好きな人に振り向いて貰いたくて
イタズラしたり
問題行動を起こしたり
泣いたり喚いたりするここと
同じ。
だから「愛される私」だと
困る。
そんなことをしなくても
充分に構ってもらえるのに(笑)
そんなことに気づいた
40代。
20〜30代
子供みたいに
こんなことをいっぱいして、
失敗もしたし、無くした存在も沢山あったけど、
だからこそ、
気づけたのだと思う。
そのネガティブなループから抜け出すには
認めてしまうこと
私は愛される存在なんだなー、と。
そして、
心の底から
「私は私を大好きでいていいんだな。
誰の後押しも、誰かの保証も、要らないんだなー」
と知ること。
構ってほしいと駄々をこねなくていい(笑)
世界を見る目を変える。
人の愛情を試したくなったら
まず自分のことを沢山かまってあげよう
心の声に一生懸命耳を傾けよう。
自分が心地よいことをやってみる。
心地よい空間に身を置く
ちゃんと自分を構ってあげる。
それだけでいい。