先日アカデミー賞も受賞していましたが、アカデミー賞を取る前、日本公開する前から、実は気になっていた映画。それは、物語の核になる、あの半魚人に見覚えがあったから。
※これから書くことは、少しスピリチュアルな感じになるので、苦手な人には苦手な内容というか、ちょっと頭おかしいと思われたり、気持ち悪く感じる人もいると思います。私は、そう思われてもいいなと思うから書きますが、苦手な方は読むことをオススメしません。
シェイプ オブ ウォーターの半魚人に、私はとても見覚えがあった。映画を観てないのに、記憶にあるというか、既視感があったのです。
それは、私がレイキヒーリングの3rd degreeの伝授を受けた時に見えた映像みたいなもの。深い海の底みたいな暗い水槽みたいな中に閉じ込められた半魚人の私が、処刑されるのを息を潜めて待っているような感じ。自分は殺されることを悟っていて、でも逃げる事ができずに、その瞬間を息を潜めて絶望的に待っている。背後から刀のようなもので斬り付けられて気を失ったような感じで、伝授が終わった。
私にレイキを伝授してくれたティーチャーにその話をして、ちょっと変な汗かいてたので、心配してくれ、ゆっくり休ませてくれた。
映画予告で見た半魚人が、その時の私(が見た映像)に本当にそっくりだったから、この映画は必ず観なくては!とずっと思っていた。そして、この映画を観たら、何かが救われると思っていた。
半魚人の見覚え以外に、気になることとして、私は童話の人魚姫に昔から激しい怒りを感じていた。
人間の王子が薄情過ぎる!
何、口説いた癖に恩忘れて、他の国の姫と結婚しとんねん!
こっちは声まで亡くして命がけで会いに来とんねんぞ! お前の態度、何やねん!
そんで何かい? 王子を殺せなくて泡になった人魚姫を純粋な愛って褒め称えて、我、何ぬかしとんじゃい!! こっちは死にたくて、死んでる訳ちゃうぞ!!
ホンマやったら、薄情な王子にヒレキック食らわしたいわ!!
と常々、人魚姫の気持ちになって(人魚姫は関西弁しゃべらないと思うし、こんなにガラ悪くないと思うが)、いきり立ってしまうのだ。私、人魚やったんかな?というくらいの怒りを感じてしまう。そんな私なので、どうしても観ておきたかった。
観た感想は、そんな私の今までの悲しみや怒りが解放されるような映画だった。
私はどうしても異端者のようになってしまう。
扱いづらい面倒くさい人間なんだと思う。
人の気持ちをよく考えろと言われる。
私は考えてるつもりなんだけど、よく言われる。
確かに変なんだろうなぁってことは自覚してる。
人の気持ちや感情の動きがよく分からなすぎて、たまに「私は人間じゃないのではないか?」と思うことがある。そして、決して優しい人間ではないのだろうなぁと思って悲しくなる。でも、まぁ、最近はそこも含めて私なんだと受け止めているけど。
そんな風に「ふつう」とか「まとも」とか「一般的」になれないのだ。それを恥じることが多かったし、こんなことでは生きていけないと思って、「ふつう」で「まとも」で「賢い」成功者の自分になりたいと思っていた。でも、そんな風には、なかなかなれなくて自分に失望することが多かった。
なので、そんな私には「シェイプ オブ ウォーター」はとても救いだった。
そして、私がレイキヒーリングで観た映像の半魚人の私も、とても救われたと思う。
助けてくれる人がこんなにもたくさんいた。ひとりぼっちで暗い水槽の中で、ただ殺されるのを待っていた時は、助けてくれる人間などいないと思っていた。だけど、人間でも異端者扱いされている心優しい人たちが助けてくれた。
同時にマイケル・シャノンが演じたストリックランド氏が上司に認められる為に、上司の役に立つ人間として、「まとも」で居続ける為に努力していた気持ちも分かった。成功者として、社会的に(上司に対して)まともでいる為に、人間らしさを捨てて、人や生き物、物を大切に扱わなくなっている様を悲しく思った。
そんな悲しい「まとも」は、誰も救わない。救うとすれば、誰かが作った「まとも」から外れずに、「まとも」で居続ける為に必死に生きてる人たちを救うだけなのだと思う。
そのふたつの生き方を、改めて突きつけられた気がした。私は、もう、誰かに認めてもらうような「まとも」でいる努力をやめようと思う。それが、私の中にいた半魚人や人魚への恩返しにもなるはずだから。
生きづらさを感じている方には、ぜひ観ていただきたい。おとぎ話みたいに美しいお話です。
パンフレットなんて、買ったの何年ぶりだろう。